じねんこじ
2012年 09月 05日
昨日は、歌舞伎の音について、三味線をとりあげ、身体から発する、人間の思惑の表現方法を皆さんと考え、実際に身体と三味線の結びつきを実演しました。音を単純に出すことをしながら、芸の技術は、あくまでも、人間の内面から発するものです。
芸術家の人としてのありかたを、作品と切り離して考えようとする傾きがありました。
しかし、芸のありかたと人のありかたとを分離することは、人そのものに無関心となることを意味しました。発展するために失うものが大きいと知った現実社会から、考えると、よくわかります。科学の発達を求めるために、科学する人の考えやありかたに無関心でありすぎたことは、私達の生活のありかたに及んでいます。日本の伝統芸は過去の遺物ではありません。むしろこれからの、人間の生活や、ありかたに大きく深い示唆をあたえるものだと思いながら、1日を終えました。夜、犬山からの友人と、能「自然居士」のお話しなどしながら季節はずれのお鍋を。
芸術家の人としてのありかたを、作品と切り離して考えようとする傾きがありました。
しかし、芸のありかたと人のありかたとを分離することは、人そのものに無関心となることを意味しました。発展するために失うものが大きいと知った現実社会から、考えると、よくわかります。科学の発達を求めるために、科学する人の考えやありかたに無関心でありすぎたことは、私達の生活のありかたに及んでいます。日本の伝統芸は過去の遺物ではありません。むしろこれからの、人間の生活や、ありかたに大きく深い示唆をあたえるものだと思いながら、1日を終えました。夜、犬山からの友人と、能「自然居士」のお話しなどしながら季節はずれのお鍋を。
by ooca
| 2012-09-05 10:25