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市川櫻香の日記


by ooca
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思い出しつつ

気持ちの良いことの最たることは、信頼のできる人との時間でしょう。会うことができなくても、時間が、双方の痕跡を残します。
様々思い出しつつ。
むすめ歌舞伎としていくつかのポイントのようなものがありました。伝統芸能の伝承普及の家に生まれました。ちょうど21歳人間としてもっとも大事な時期、それ以前から、アメリカ的な文化の波に回りと同様影響をうけていた頃、忘れることの出来ない舞台を観ていました。二世中村翫治郎、最期の舞台でした。感動とともに勇気と激励を感じました。その頃の私は、自分の一生ということを考え、生まれ育った環境を否定して、イギリスに行き戻ってきた時でした。邦楽が下火になり、演奏会の観客はいつも決まった顔ぶれで、同世代などいません。新しい視点をもたなければならない時代が、戦後から30年も経つのにまだ続いていました。伝統芸能は、名古屋が芸処といわれる通り、華やかで社交的なものでしたが、私は、伝統芸能に与えられていた社会の立場のような判然としないものに疑いを感じていました。今の私があるのは、あの時のふと疑った伝統芸能の社会制でした。イギリスは、一般の人達が社会制の高い関わりを持っている国でした。
生まれ落ちた瞬間から三味線や浄瑠璃の声、鼓やお琴の音を聞き始め、聞き続けてきたのですから、物心のつく前にすでに肌で感じているわけです。意識してうけとる以前に体で捉えるということは、とくに、舞踊や歌舞伎をするものには利点です。与えられてきた身体や精神から、いくら外国に行こうが、逃げ出せるものではなかったのです。祖母の思いを継ごうと思いました。しかし、祖母は、病院へ入院お別れとなりました。二世中村翫治郎さんの舞台に出会ったのはその頃でした。むすめ歌舞伎の設立。それから旗揚げまで2年がたちました。
その頃の伝統芸能に携わる人は、理屈を嫌いましたし、実際に伝えられた通りが大事であり、そのことを疑わずに稽古に邁進しているという日常でした。しかし祖母と叔父は少し違い、国文学の研究者の方が集まっては、実演家である祖母や叔父と話し合っていました。生まれてからその様子はある時期まで続いていました。今の私の中のもうひとつ肌で感じていることです。続き
by ooca | 2014-11-16 23:14