淡いため息
2017年 04月 16日
本日、知立八橋無量寿寺さんから、淡いため息を感じる椿を頂きました。
無量寿寺は、かの在原業平の詠んだ杜若の生息するお寺であることと、それ以来の東西往来の却花をひともとにした、鄙の《ふわり》の感覚が残る余韻あるお寺でした。
ここに、いくつかの伝統文化の謂れ歴史を想像する資料がありました。それは、街道の持つ、文化の流通が確かにあったことを想像できるものでした。煎茶の出来た時の愉しさや、琉球の長線という四本の弦の楽器がどのようにしてこの知立にきたのでしょう。
煎茶の由来から、想像は進み、まだ抹茶とほうじ茶以外は飲まれていない元文三年(1738)に山城国の永谷宗円が煎茶をつくり、高遊外売茶という僧侶が煎茶を広めていった。その高遊外翁は、その風雅が当時の人の人気となり、煎茶の美味しさとあわせて煎茶は繁盛したそうです。
宗円と高遊外、それまでのお茶から、新たな苦くて甘くもある薄緑色のお茶を、どのように確立していったのでしょうかー興味深く感じました。
街道という当時のパッションの残る場には、やはり何かつなぎ止められるものがあるように思います。時間や量ではない、質的な濃さに対しての感受性を、鍛えることが必要になってきています。
by ooca
| 2017-04-16 23:06
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