市川櫻香の日記


by ooca
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カテゴリ:櫻香のつぶやき( 351 )

ステージと舞台

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「劇、それは何事かの到来
能、それは何者かの到来」
劇詩人ポール・クローデル。
一昨日、能管の藤田六郎兵衛氏の命名による形式〈一管一踊〉を、MSBCの空間で上演。劇場空間でない場に、小宇宙を形成。能から続く空間へ向かう厳しい精神が、舞台と観客との融合の場になることを思います。劇は、この世のものとは思えぬ強烈な力を持つものの到来を待つことにより始まります。
(お話の後に上演でした)
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by ooca | 2017-07-28 09:09 | 櫻香のつぶやき

[身体と美術]カフェ古今

「森を見るために木を見よ」-昨日《カフェ古今》開催-馬場駿吉先生から身体表現の歴史は、たえず創造するベクトルにより創られたことを映像を見ながら-「古今」伝授のひととき、愉しく有難く、皆さんと。

約二万年前のユスケール洞窟壁画の【手】から始まり、シチリア、アッダウラ洞窟の時間の中で身体を意識する【動いた姿】。次の時代には、精神の内包を表し、美へと向かう。
人体は円と正方形に内接するという記述を表現したレオナルド・ダ・ビンチ。

1489年【解剖図譜】
医学的な部分と、美術家俳人のはじける無数の泡が、建築論から人間の豊かな情感の経過まで、馬場先生は、そこに見えない絵画を描いていくように話され、創造物=身体がいとおしく興味深く感じられる。
頭部の空洞は、外部からのショックをおさえる役割であり、直立するようになった人類が脳を支えるため進化。
進化とは日々薄い蓄積の形状の繰り返しであること、より今に通じるため敏感にして、その蓄積は形状を変化させ、時代の気配に応じていくことができるということである。

東洋と西洋の身体表現は人界の輪郭から、数ミリ数センチのベクトルでは共通していると感じる。

求心性指向を日本人、遠心は西洋性の指向と言われながら、しかし、広い海原、つきぬける空を日本舞踊で表現するには、求心よりも、遠心にしながら求心の身体にとけて無くなるような感覚がなければ到達できない。

近代西洋美術は、光りの色彩で輪郭を見せ、同時代、日本は浮世絵でみるように、墨で象り、閉じ込めながら、開いていった。

虐げられた身体へ
1937年ピカソ【ゲルニカ】抑圧の時代。
ロダンの悩める身体。

自己とは何か、耳に包帯をしパイプをくわえたゴッホの自画像は、日本の浮世絵に触発されているように思う。
ゴッホから、人間の心に満ちた修羅の老武者を想像できた。芸術の狂騒の時代に生きて、自己の葛藤、人間性を見出だす芸術の方向に立ち上がっていくように感じられる。

このように
もうひとつの「日本の旅」を皆様と出来ますことは、とても大切なことに思います。

舞台芸術は、絵画や彫刻のように後に残るものではありません。世阿弥が言うように、その場その時の観客としか存在することができない、はかなさと向き合わねばなりません。そこに、伝えていく意思と、魂に残るものへの憧れが生まれて。
薄い蓄積も、重なれば、強い芸術になり得ると、馬場先生の最後のお話しに深々ー。
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by ooca | 2017-06-11 18:34 | 櫻香のつぶやき

こちら、お稽古

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「子どもと伝統芸能+大人」の説明会
お気軽にお出掛けください。

6月10日(土)18日(日)15時より
25日(日)14時より

日々の生活の中に、日本の芸能、芸道を加え
てみると、様々な興味がわいてきます。

私たちの日常は、生命の気配に富んでいることや、日本の多様性を知ることは、世界の多様性に交わるということ等。
お稽古の繰り返しの中から、体は体で、心は心で、そしてどちらも自分のものとして考えていくこと。

日本のことを知りたいと思い、お能を見、歌舞伎を見て、そのお芝居の心を見ようとしても、それは外部からみているのであって、そこには溝があります。溝を飛び越えなくては心を見ることはできません。自分が舞っている、踊っている、唄い、三味線を弾いている、その感覚を持つことで大きく変わります。
日本は丁寧な組み合わせ、繰り返しにより、深く、強くなる、美しさを伝えています。

様々な扉から日本の伝統芸能を学ぶことで、日本の特質を体で感じいくことでしょう。

まず、はじめてみましょう。

お問い合わせ
052(323)4499
日本の伝統文化をつなぐ

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by ooca | 2017-06-09 09:45 | 櫻香のつぶやき

夏にのびます

昨日の、古川美術館の催しは期せずして
大徳寺墨蹟「山色清浄身」をかけられ心を
きよめられる設えが随所にありました。
「墨蹟」は、人間の達人の書をいう言葉です。
このような書をお選びいただき
この場を有り難く思いました。

古川為三郎記念館檜舞台
「むすめ歌舞伎の世界」
小説家奥山景布子先生の「女性と芸能」の
お話しと柴川菜月さんとの対談、奥山先生
の研究者としての立場からむすめ歌舞伎を
もっとも的確に御紹介いただき、とても感謝
致します。柴川さんの杜若の精、なんとか
無事につとめさせていただくことができました。
表現者には、様々な社会のなか、清浄心を軸
にする心がまえのようなものが、特に必定と
考えています。人はすべて表現し生きている
ものですから、いかなる生業においても言え
ることではあります。

このような、かまえがあるかないかー。
私は時折不安になり、それで花を活けます。

映画【花戦さ】のメーキング映像で見ました萬斎さん「夏にはねる」の台詞をいただき「夏にのびる」と題して、お稽古場に杜若を活けました。
この映画、今晩行きたいのですがーどうなるか。

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by ooca | 2017-06-03 19:25 | 櫻香のつぶやき

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鵺と猩々、羽衣と杜若、仕方によるうつし身の有り様、誰でもない自分の宇宙。本日の「カフェ古今」身体は主格をいろいろにしながら、奇妙に味わえます。能、吉沢旭師と。
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by ooca | 2017-05-20 20:31 | 櫻香のつぶやき

これからです。

日本の芸道というものは
全部具体的な生活と関係
しています。
そのことは、私共の
とても大切なことです。

一昨日は、若い人の第一回目の舞踊の会を、沢山の方々にお越し頂き終えることができました。
皆様の温かなご声援に心より感謝しながら、日々のいたらなさを反省し、こういった時にこそ、芸道の有り様に、もうひとつ向き合うことでなくてはならないことを思いました。
日本の伝統芸術はあらゆることが入ってきます。
たとえば、お茶は茶室の中だけ丁寧にあればよいのではないこと、お花も、書も、同様に日常に生かされる実用の芸術であるからこそ、そこに人生を感じとる。
私共の思うところは、つまり舞踊を通して形から心へ、その導線と気づきよる立ち居振舞い、歌舞伎の物語から美の仏法、日常が総合文化芸術であることを「道の芸術のもつ、即生活の美」へと向かうようにと思うのです。
舞台芸術が遊びの芸術と言われることのないよう、私達の人生の中の体と心の芸術化に
少しでも近づきたいと思います。
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by ooca | 2017-05-09 09:19 | 櫻香のつぶやき
若い人が力をつけてきました。自主発表の会を催します。
地唄による舞踊
鐘が岬
【道成寺】物
上演前に少しこの曲を
書きとめてみます。

ト、鐘、鐘のそばに女人
長唄「京鹿子娘道成寺」では息のつまる気迫、乱拍子のあと唄から語り口で始まります。
【鐘にぃ怨みは数々ござる】
体と鐘、鐘が体か、執着という姿なのでしょうか。

【初夜の鐘を撞くときは】
鐘へ耳、見上げるように一段と鐘へ意識

【諸行無常と響くなり】
執着する心に縛られ

【後夜の鐘を撞くときは】
鐘の音も、明けゆく空のように、人の心がその様に、とどまることなく移り変わっていくー。しかし、女人の中に我慢我執の心がある。

【是生滅法と響くなり】
あたりに響く鐘の音、怨みに思う。

【晨朝の響きは生滅滅為】
明け方の空を見ると生き死にを越えていく思いをもつ

【入合いは、寂滅為楽と響くなり】
夕暮れの鐘は、楽境の境地という

【聞いて驚く人も無し】
その音を聞いて誰も驚かない

【我も五障の雲晴れて、真如の月を眺め明かさん】
法華経に、女人には、五つの障があり仏身にはなれないというが、今、悟りの月を眺めてー。

古典芸能に生きるプロならば道成寺は必須と言われています。
地唄「鐘が岬」
第一回目の会に向かう若い人に勧め勤めてもらいます。

若い人に

我慢我執というものは「他をあなどること、我意をはること」茶道開山の珠光伝書『心の文』に「わろき事」とされている。
しかし、倉沢行洋先生は「芸道の哲学」でなくてはならない我慢も記されている。
それは、「がまんがしゅうがわろき事」を深く自覚し、そこに徹底、徹底したうえ、高く豊かに働き得る強き「がまん」のことを書かれておられます。「なくてもならぬ」
強い起動力、工夫の「がまん」を記されておられます。

この道を歩もうとする
若い人の第一歩です。
皆様には、どうか温かなご声援を賜りますよう、私からもお願いを致します。
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by ooca | 2017-05-04 21:22 | 櫻香のつぶやき

妙なる

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5月はのびやかな月です。
今朝は、いちごを煮てから自主稽古。
いちごを洗いグラニュー糖をまぶして放置。いちごは、甘心地を堪能している様子、こちらも、その様子を見ながらいちごになりかわる心地で。

いちごを、見ながら
あたえられた点化により「無心」の主体が、芸力を、もってやすやすと、安らかにはたらく時は、ある意味での無上の姿が自然と現じてくる。

しかし、いちごは生まれながらに妙なる創造物、ありがたくいただきます。
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by ooca | 2017-05-01 09:17 | 櫻香のつぶやき

始まり

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お稽古場のつつじが咲きました。櫻のあと、花あらしをよそ目にしおやかに、始まりの幕をあけてます。
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by ooca | 2017-04-28 10:10 | 櫻香のつぶやき

国際伝統芸術研究会

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倉沢行洋先生がお書きになられた名著「芸道の哲学」。
道を修する者の心を説いた本である。本日は、倉澤先生からお声をかけて頂き、国際伝統芸術研究会で実演とお話をし最上の場に学ばせて頂いた。
帰りの新幹線で「もったいない」心地が溢れてその思いを手の中で壊れないように持ちかえることができた。
この心を姿にうつし、心から心に接近させる行き方につないでいくことを意識し繰返し深めていく「我」を想像しながら。

倉沢先生
「花を活かすといいながら、実際は殺す、なんでそんなペテンを言うのかー殺しておいて活かすという。それには根拠がなければならない」それは「矛盾の調和」という「人間と自然までの大きな背景があるテーマまで深く広く考え実践に結びつけていく」

私は、花を活けることを花が別の形で生きなおすことと考え、手折られる花を少し羨ましく感じている。
矛盾の調和は、主体が花そのものに成り移ることにより、高く深く大きな強いものが生みだされる。と
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by ooca | 2017-04-22 22:41 | 櫻香のつぶやき