市川櫻香の日記


by ooca
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<   2011年 11月 ( 15 )   > この月の画像一覧

ケンゾウ

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神社で飼われている犬に、ずいぶんよくしてもらいました。声をかけると、「待っていたよ」「遊ぼう」と、自分のできる限りの力で、走りまわる様子を見せて、身体中で、「元気出してよ」って、はしゃいで見せてくれました。
辛い時って、言葉じゃないと感じさせてくれました。犬の笑顔と元気は、不思議な力です。
久し振りの神社の犬は、老犬となって、目も見えなくなっていました。でも、人の気配に「誰、だれ」「ちょっと怖いけど…」、「もしかして、いつも遊んでた、あなたですか?」「目が見えないから、怖いと噛んじゃいますが…」「匂いますよ、なんだか、貴方ですよね」

夜更けの神社で、以前犬にしてもらったように、「遊ぼうよ」「好きなお菓子持ってきたから、遊ぼう」と話しかけました。
よく生きてます。よく頑張ってます。
お寺や神社の犬は、修行者の生まれ変わりと、以前も思いましたが、確かにそうです。
有り難う、ケンゾウ…
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by ooca | 2011-11-28 23:13
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昨日の、第五十回名吟会 (御園座にて)、舞台を終えて、楽屋でほっと笑顔。ゆったりとほころぶって、かけがえのないことですね。名人川地重幸師御夫妻を囲み、女流義太夫の津賀寿さんと、お園の拵えの私です。
舞台前日の一昨日、川地師を囲み、義太夫談義を。昔にさかのぼり多くの名人のお話しを聞かせて頂けたことは大切なことでした。芸は、頭でしては小さくなると言われます。でも、人というものの真事を知ることで、人間の弱さにどうしょうもなく愛着を感じていきたいのです。その気持ちが、お園でいえば、義理の父母、実父への思い、三勝への思い、半七への思いがそれぞれに、お園を通して感覚的に深まっていきます。この三勝半七「酒屋」は純粋な歌舞伎劇ですが、人形浄瑠璃に特徴を発揮するような作品です。昔の芸談など調べながらお稽古をしていくと、身体で感じることができます。本で読むだけではなく、大切なことを実感する自分に気がついていきました。お園は、半七の家、茜屋に嫁いだのです。女性は、このお園の時代には、両親から夫と家を守り,繁栄をさせていくことうを役割として、心にしみ込ませて育てられ、嫁いできたのでしょう。そのことは、夫との間に我慢すろことも女の仕事として、教えられてきました。自分のための営みではなく、自分以外の人の営みのために自分があることを、喜びとできるようしつけられてきたのです。
義理父母の嘆きは、お園にとり、苦しみであり、お園を残して、その父母達が「泣きに行く」という浄瑠璃通り、一間へたって行く状況に、自身のこれまでを思い返します、そして、死んでしまえば、夫の以前からの愛人もその子供に免じて、義理父母の許しもあっただろうにと。両父母、そして夫、半七にも詫びるのです。

お園の口説き後半「一年前にこの園が死ぬる心が、えー、ま、まつかなんだ」で、もんだ紙を投げつけかけて、袖に入れるしぐさなど型として、昔から伝えられています。終わってから、一層にわかることがあります。この型はよく気持ちを表していますが、今回この型をひかえたかたちとなりました。自分への思いより、ひと間で泣き伏す親たちへの、申し訳なさ、人をも殺してしまった半七、三勝さんの身を案じることの方が、自身を悔いるより深くなっていったからです。こらえていく感覚と、また、それ以上に自身などを存在させない程の喪失感が、太夫の川地師の華やかにも情のある語りですべてできあがった次第です。
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by ooca | 2011-11-27 22:48

今週土曜日上演のこと

酒屋のお園を今週土曜日、御園座の【名吟会】の舞台でつとめさせていただきます。
昨日は、その下合わせでした。
お園は、酒屋の半七のところに嫁ぎましたが、半七には、以前より子供まで成した三勝という、女性がいました。お園は、半七の身持ちも治る日のくることを、待つのですが、半七の浮わついた心は治りません。歌舞伎には、様々な人が登場します。世話狂言には、こういった、弱さ、醜さ、ずるさ、人間本来の弱いところがあることを見せます。それも人間の本質の一部であることを伝え、気づかせます。人間本来、弱いのです。お園もまた、半七の身持ちの治ることを望み、家を守り、半七との幸せを待ち望みます。
酒屋といえば【今ごろは半七さん、どこにどうしてござろうやら…】この義太夫の心情を聞かせる節、曲調は、有名で人気の箇所です。お園の心の内を語り聞かせます。
文楽、歌舞伎も、名人と言われる方々が様々に工夫しまた、積み上げて今に伝えられています。
役者や本業の文楽の方でも、お園のこのところは、骨の折れるところです。
半七を思い、戸口に出て外を見つめて決まるかたちや、家の中の行灯によって決まるかたち、また、下手戸口寄りに決まるかたちがあるそうです。私は、外に出ないやり方の方をと思っています。半七に対しての、恋慕一点ではないからです。様々に思い回して苦悩する。外ではなく、家の中にあることが、お園の心の解放されない深い部分に至っていくと感じられるからです。恋人とのささいな喧嘩であれば、外を探すのでしょうね。私はそんな具合に考えました。
お園の願望は、半七と一緒に、酒屋で送る日々の幸せでした。この後半、その願望は崩れ落ち劇的な心情に落ち入ります。
半七のような人を良く言えば、ロマンチスト、普通に言えば、自分を自制できない、浮わついた、ふわふわな方。阿朱花さんの半七です。自分から、業を受け入れていくのでしょう。お園は、どうしょうもない今にありながらも、人への慈しみを深く持った人に思います。でも、苦しみます、やはり女性でありますから。その、沈着と激しさをなんとか天秤にかけながら均衡している感覚ですから、大変重く実は激しさを内向しているのです。
人間って震えて咲く花も好きなのです。
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by ooca | 2011-11-24 11:07
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歌舞伎でも舞踊でも、【見得】や【決まり=極まり】 の心得は、次の時点へいく奮起と考えます。形に決まると、ひとまずはといった気持ちになりそうですが、皆に、油断のないようここからスタートと伝えています。
今月3日のむすめ歌舞伎公演は、努力が、それぞれちゃんと実りました。
自分の満足も不満足も、不安も、自分をよく見せたいという思い、それも大切ですが、自分勝手になりやすいものです。よく見せたいと思う、うちは、まだ余裕もあります。難しいですね。外に向かった力のあとを、お腹に納めなおし、うっかりにならないよう、集中していく。なかなか出来ないことです。しおわった心地を、自身で味わってしまうでしょう。これを自分に戻さないようにするのは、我慢する時に似ています。無となって、流れの力と一つになったら、大きさも感じられます。
舞台に立つ者は、悪い心を払うような心地を得たいものです。ともかく、むすめ歌舞伎公演は、皆さんのお陰で、とても良い舞台でした。舞台のお写真近々アップしますね。
プログラムの表紙は、名古屋友禅の伊藤勝久さんにお願いして描いていただいた、【梅と櫻】です。梅は櫻より早い時期に咲きます。櫻は、梅を敬意をもって見上げています。櫻は、見上げ続けていきたい心です。この表紙、実は、お能、シテ方の、梅田邦久先生へ思いも沢山。
先輩芸能の【お能】と後輩芸能の【私達のむすめ歌舞伎】、そのことをこの表紙の絵にこめて、大切なものを、形に残すことができました。ここから、またまた、スタート。

今月26日(土)名古屋御園座での【第50回記念名吟会】という名古屋の邦楽愛好家の名士皆様の立派な会に出演させていただきます。私は、艶姿女舞衣(あですがたおんなまいぎぬ)酒屋の段、お園、三勝に、市川舞花(まいか)さん、半七に、阿朱花(あすか)さんも出演させて頂きます。語られる方は、今年、傘寿を迎えられた、川地重幸先生。むすめ歌舞伎結成当初から様々にお力添えくださって、この記念の会にもお声をかけて頂きました。お三味線は、鶴澤津賀寿さん、大好きな皆様の舞台です。酒屋は久し振りです。今回はお芝居の部分を凝縮させて、お園1人で、酒屋の家の部分を致します。工夫を凝らすことは、自身の表現の仕方を探求することでもあるそうですが、私たちは、心と身体が古典の模倣に徹していくことを必要に思っています。良い機会に思います。
お時間あられましたらお出かけください。
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by ooca | 2011-11-22 01:53
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先月の御園座顔見世の、助六の金棒引きの2人は、よく頑張りました。私の小さな弟子は写真左です。意気でいなせな姿になるまでに、彼も周りも頑張りました。勇気が一番、普段の心持ちももっと大切です。
三浦友和さんと百恵さんの結婚記念日のニュースで、友和さんの百恵さんへの三つの約束を伝えていました。【ずるい生き方をしない、浮気をしない、禁煙をする】。信頼の大切さを、わかる大人の約束に感じます。三つの約束は、考えてみると、どれも「浮わついた人にはならない」という信念のように思われます。
江戸文化の【いき】にも、つながります。意気について、媚態(色っぽさ)、意気地(欲望に支配されない心の強み)、諦め(未練のない恬淡とした心持ち)という三つのキーワードで九鬼周造氏の意気の構造という本に書かれています。この三つも、ふわふわとした心底ではありません。浮わついた色ぽさは本来の色気ではありません。意気地は、欲望から離れた信念の、強い心です。諦めというのは、自己抑制。不本意でも自身を呑み込み、世間への責任に向かうことをすっきり受けていく推進力。
言い訳したり、嘘をついたりも、浮わついてる感じです。
かっこいいって、本当にかっこいいんだからね!!
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by ooca | 2011-11-20 19:55

心理的時間

一生懸命って難しい。
説明のつかない、身体の震えるような感動を,日本の古典芸能は、持っています。
お稽古は、このことを、身体から身体に伝え双方向で、学んでいるともいえます。
自分の身体に、もし変換キーを持っていたら、歌舞伎キーを押して、日常の10倍、日常の100倍を選択し、みなぎる集中力を持って、事と向き合えます。現実世界では、お互いに面倒な事を煮詰めることは、なるべく避け、やり過ごして生きていることが多くありました。しかし、これは一生懸命をくずさず、考え続けていくことを、避けずに向き合い、人間の持っている力ではどうしょうもない事にも、ちゃんと直面し、生きることは、不可抗力と緊張した関係にあることを、大きく、嘆き。または、その恩恵に喜びを、持てれば、今、世界で起きていること、日本で起きていることも、その解決が、理解であり、直感的に感じられる心理を、大切にしていく時間により、解決の方向を得られると誰もが感じていくことと思います。頭だけでは想像のつかないことを、意識する時間を持つこと、それは、動きにおける距離や時間ではなく、思考心理における体積の嵩や深さ、厚みとも考えます。
歌舞伎は、生きている私達が様々を感じる時間の中で、【感じる】という心理的な時間こそを、本質の時間だとする演劇です。過ぎ去った時間を演じているのではありません。現実にある、自己と社会に、願望を持てば持つほど、遠ざかる願望、このことに苦悩し、そのことで劇的な緊張に直面した人間を、歌舞伎音楽のやはり同じ領域で演奏される旋律とともに、結果のない人間の【性さが】を其処に焼き付けます。それは、絶望ではなく、健闘をたたえているようにも思われます。
言葉ではなく、【思う】という力が、身体にみなぎり、少しも立ち止まらず、ゆっくり次の瞬間の一歩を作ります。
その事を伝えることに、一生懸命な昨晩でした。
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by ooca | 2011-11-17 12:04

お稽古の始まりに

昔は、鰹節を削る時も、お米をとぐ時も、お花を生ける時も、行うかたちや構えというものがありました。お米にも、お花にも、鰹節にも、心と身体の構えを子供の頃に遊びながら覚えました。ここから美意識をもつことが生まれるように思います。美意識にはかたちだけではない、取り組む者の責任さえも含んでいました。それは、形を伝えながらとても丁寧に、物にも同じ心を持っていることを伝え、そのことは、思いをかけることの楽しさえも育てるように思います。お花に、最後まで頑張って綺麗でいて欲しいと思うこと、お米をとぐにも、食べる皆のことや、お米に思いを持つことも、構えの一つにありました。感謝だったり、気づかいだったり。歌舞伎の所作も同じです。心の構えと身体をつないで考えることで、よりはつらつと、気持ちの良いものとなります。お稽古を重ねてその形が身につき、それと同時に時空間を越え、自己本来の存在を新たに感じることにもなっていくのでしょう。姿勢は背中を意識し自分の後ろから体ごと動かしていく意識を持ちます。姿勢を正し精神統一を維持するようになります。身体中で表現するには、あくまでも、まっすぐ、おおらかに、ひろく深い、自己を意識することも大切です。
お稽古には扇を使います。扇は、自分の手の延長のように扱います。身体の一部としてなじんでください。扇を持ち物の代わりとして使う場合もあります。構えから始まり様々に使いますから、自然に扇が自分の手の中に納まることを普段から身近にするようにしてください。足袋は必ず白足袋を履きます。足元は大変大切です。木綿の厚地の足袋が必要です。安定した下半身による摺り足は、美しい身体表現の可能性を広げます。身体を運ぶというつもりでしっかり足元を足袋で固定し、力強い足の運びを身につけます。
お稽古には、録音機器や筆記用具など用い、復習する時に役立ててください。着物は、お太鼓結びでしますが若い方ならば、半巾帯でもかまいません。着物の着方は短めに、腰紐などきりっとややきつめに締めてください。帯や着物は、お稽古を積み重ねていく中で、着方もなじみます。できる限り着物を着ることは、合わせる、揃えるといった日本の良い習慣を身につけることにもなります。会や舞台に立つ時は、無地、紋付きに準ずる着物で紬などは用いません。普段のお稽古に、着物を着て習うようにしていると、自然に着物が身体に馴染んできます。腕時計や指輪貴金属などの装身具、メガネもなるべくはずしましょう。
まずは、両足を揃え、おへその下に力を集中させ、左右、前後、上下均衡を保ちます。腰は少し後ろ気味にするとバランスがとれます。おへそから下は下へ安定し、背中を意識し、頭は上へ引っ張りあげられている感じにします。目線は目の高さで、遠くを意識します。
さぁお稽古の始まりです。
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by ooca | 2011-11-13 10:05

古武道と歌舞伎

昨日、爆笑問題の番組で古武道の方の動きに、歌舞伎の指先の秘密を知りました。指って大切だとつくづく思いました。身体ごとふわりと使うといとも簡単に大男を投げてしまいます。歌舞伎やその所作には古武道ともつながっていることは、時代が互いに古い日本の中のことですから、江戸の飄々とした仕草や、身のこなしは、意味があったと知りました。ちょっと、嬉しく思いました。

心と身体は一つです。ふわりとしてしゃんとして、それでもって凛として、なのです。凛はフワとしているのがコツのようです。
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by ooca | 2011-11-11 17:38

藝のこと書き残し

團十郎先生、博多座の弁慶に『冷え』の藝態を拝見できましたことについて、追記しておきたいと思います。冷えというものには、「清い」「混じりけがない」「揺るがない」などとも、表現できます。誠の花は心に残るものです。本当ですね。
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by ooca | 2011-11-09 19:23

日々休まず

團十郎先生の勧進帳、心に残りました。先日、むすめ歌舞伎公演後のご報告に博多座へ。久しぶりの博多座は華やかで、客席もロビーも特別なおもてなし空間です。客席に向かう扉を開けると、舞台の間口の広さが、迫力を持って目の前に広がります。お芝居の感激を期待させてしまう空間です。
團十郎先生の弁慶は、いつもと違っていました。台詞は聞かせるものではなく感じるものであること、ともかくひたひたと心が台詞の内容を越えて広がっていくような弁慶でした。声や体で表現をするのは演劇としてもちろん、それ以上に歌舞伎は独特な演技手法を工夫しながら、よりはりつめ、また聞かせ、酔わせていくところに愛好されてきた今日までの経緯があります。私は、この日の團十郎先生が、世阿弥の伝える『冷え』の藝態にあると大変僭越ながら感じました。冷えとは、「そぎ落とした」、「繊細」、「宇宙」、「型」、「鋭い」、「深い」。私は、歌舞伎の藝態として、大変時代にあった今日的な感性を、團十郎先生に拝見できました。忘れません。ありがとうございました。
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by ooca | 2011-11-09 17:26