市川櫻香の日記


by ooca
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お稽古に通う皆が、頑張っている姿は、私にとり、大きないただきものです。泣きべそな子から、優しい心を、笑いぐせの子からは、生まれたての幸せを、引っ込み思案の人からは、思いやりを、一心不乱に向かう人から、情熱を、皆さんからいただいています。

昨夜は、ちょっと鶴舞公園へ。桜の様子を見に、ご近所の友人と。たくさんの蕾が、わくわくして、膨らんでいます。もうそろそろですよ。
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by ooca | 2012-03-31 08:12
「春の日のおだやかな夕暮れ、旅の途中、八島の浦をとおりかかる。一夜の宿を定めようとするところ、年老いた漁師が供を連れて現れた。その昔の源平のいくさの話しをはじめた。海に浮かぶ、平氏の船、それを攻める源氏。話しを聞くうちに寝入ってしまう。気づくと、目の前に、甲冑に身をかためた、義経が馬に乗りあらわれた。『あれ、馬づよならん若党ども、はせよせて、けちらせ』と、言えば、武蔵の国の住人、美尾屋十郎(みおのやのじゅうろう)、五騎つれてはせよる。塗りの矢竹に、鷲の羽根をつけた、大きな矢を持って、真っ先に進んだ美尾屋十郎、敵の馬の左のむながひづくしを、ひゃうづば、と射て、矢はずのかくるるほど射ると、屏風をかえす様に、馬はどうっと倒れる。陰より、平家の一人が、大長刀打ち振ってかかりける。美尾屋十郎は、小太刀にて、大長刀には、かなうまじと、身をかがめて逃げける。追いかけんと、悪七兵衛影清が、美尾屋十郎の冑のしころをつかまんとす、つかまれまじと、美尾屋が逃げんとするを、影清むんずとつかむ。」平家物語の史実からは、
前後になります。この後に弓流し、佐渡三郎兵衛嗣信、弟、忠信、敵は、18歳の菊王丸。4月7日名古屋能楽堂での、荻江、八島の上演前に、この朗読を、皆さんの想像の妨げにならないよう、魔法の呪文のようにして、お聞かせしたいと思っています。
以前、新作『天の探女』の公演前に、詩人の村瀬和子先生から、『ゼリーの固まるように』と、素敵な呪文をいただきました。今回も、気づくと、『ゼリー』のように、優しくプルリッと、固まってまいりました。皆さんのお陰です。
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by ooca | 2012-03-29 17:17

美しい

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「騒ぐなよ 花さく時の山嵐 心してふけ 薄墨の側」
不可能を可能にした計画は、この歌を詠んだ、前田利行翁により為されました。千数百年の名木、薄墨桜が枯死を、彼の手によりまぬがれました。その後も、多くの人の努力により、幾多の手術保護を受け、現在に至ります。
見えるものと、見えないもの、このことを一対にした現実にこの桜が在ると感じました。樽見鉄道車中です。
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by ooca | 2012-03-25 17:08

櫻薄墨と雪

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薄墨櫻に会いにきました。
すごい すごいとしか言えません。
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by ooca | 2012-03-25 13:44
我慢しているのを、微笑みながら、相手をクスッとさせて,人に伝える人。「あっ」と、この人、無理しているのかも・・と、我慢の中身を、感じたくなります。
自分の我慢を、自分の中で、「いつか、わかってくれる時がくる」から「人には、わからなくても自分の中で処理しよう」むしろ、わからないように処理することを選択する人、どこかの時点でごく自然に伝わったら、本当はいいですね。そうじゃないと、つらかったりします。
相手に、戸惑っている自分を、どう伝えるかは、相手との間に、通い合うものが、あるかどうか、通い合うというのは、感じ合うこと、感じ合うということは、生き方への憧れや、そうそう、そうです、月を見上げて思うことに似ているように、昨年の勧進帳で、富樫は、月を見上げるように弁慶を感じました。これは、勧進帳を上演するなかでいきついたことでした。弁慶、富樫が、互いの奥深くにある、充実した見識を感じました。
お稽古の中で、そのことを学びながら、なんだか心が深まって、出演者が、喜びとしているのもわかりました。
言葉なく通い合うことを、月にうつし、あの月の、おく深くに・・こんな感覚を大切に感じます。

月を見上げていると、おすまししながら、ちょっと見せる、あたたかさ、かわいさ、やさしさを思いませんか。
「月の笑顔」という言葉を、妹背山の橘姫に使ったり、子供の曲には「関の小万」のなかにも唄われています。


江戸文学者、尾崎久弥先生が、日本の伝統芸能の学舎である、我が、中部邦楽教室の演奏会のプログラム、今から50年前に書かれているものですが、「熱く学び、熱血となって深く知る」でした。
この精神同様いつも、熱血でした。叱咤激励がぴったりな先生でした。人は尾崎先生を、取り巻き、たくさん笑い、たくさん学んでいる感じが子供の私にも感じられました。
「櫻と鐘の時」4月7日に向かい、お稽古と準備、進んでいます。
能楽師の梅田邦久師の、語りでのご出演も、チラシができた後に、決まりました。卒寿に向かわれる、梅田先生の、心体と脳は、深くて、鍛え上げられ、有難いお手本です。
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by ooca | 2012-03-22 10:57

感謝

有難いことが、たくさんあります。
天の恵み、天の試練を頂き、これまできました。まだ、まだ、至らず、指導者つきの登山者です。共に走る人たちと、くじけそうになった時には、お互いに、声をかけ合い助け合っています。
このところ、皆さんのお稽古と自分のお稽古を、朝から晩まで。そのせいか、頭がさえて次の朝まで、考えてしまいます。
人に教えさせて頂くことは、その人の、幸をまず思います。また、私は、私の先生に、私を見守っていただいていると感じています。私の体の中に、教えて頂いたものは、消えずに、そのお稽古のことも、覚えています。私も、教えさせて頂くことを、そういうことだと思っています。祖母が、亡くなって来年33回忌をむかえます。祖母のお弟子さんたちが、今も、祖母を慕ってくれて、本当に有り難く思います。伝統芸能は、そんな心のよりどころというか、特別なところをつくります。昔風なのでしょうか。そういう思いは、普段、お稽古にきている人ばかりにではありません。お稽古で共に積み上げた時間を、誇りに思っていただけるよう頑張りたいと思っています。今もこの先も、たくさんの先生方の教えを胸に、お稽古の皆さんと学んでいきます。

むすめ歌舞伎は、蘭景先生のおっしゃるように「女の子は女の子らしく、男の子は男の子らしく」伝統のかたちから学んで、力一杯丁寧に進みたいと思います。
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by ooca | 2012-03-21 06:33

いいこと

まだ、寒いけど、嬉しい電話を受けたら、暖かになりました。学校からの、日本のダンスについてと、古典の朗読のお問い合わせを頂きました。なんでも自由より、伝統のルールを知ってから、創造したっていいでしょ。
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by ooca | 2012-03-19 19:45

創造的ダンスとは

創造することは、文字から入りやすく、それを言葉にし、言葉に心を大きく入れることを、例えば、浄瑠璃を語るように覚えてみたら、悲哀や喜びが、身体にゆさぶられるように感じることができます。それにより、情景や感情を、自然に全身で表現することができます。感情を言葉にすることも、歌舞伎=浄瑠璃の節や、伝統楽器の伝統的な旋律の決まり事を、習得することにより、より合理的に感情を、大きく伝えていくことができるようになります。
身体でも、歌舞伎の基礎表現となる、日本の伝統のダンスの決め事を学び、その由来や、心理的な面を学び、身体の基礎訓練をし、体と気持ちを整えると、次にやっと創造的なダンスに発展していくことができます。
日本の伝統的なダンスの基礎訓練が、世界に誇る、日本の姿と、精神に、つないでいくものであると思います。

日本には、古くから大変繊細な表現の、日本のダンス、舞踊が伝承されていますから、この日本独自の表現を学べば、地域や、人間の歴史的な歩みや、営みにもふれることになり、より深い洞察力を身につけることができます。
歌舞伎は、元はダンス(出雲の阿国さん)から始まり、先行芸能の能、狂言を、取り入れた、民族芸能の一つでもあります。

日本の風習や、風土を慈しみ、人間の日々の、感情を整え、身体を鍛えながら、踊るダンスを指導することを大切に思います。形になる身体を必要とする伝統のダンスは、必ずその心を丁寧につくることが必須です。
個人の訓練であっても、結果は、大勢が一つになって行動するダンスの美しさにつながります。
厳しさに絶えるためには、助け合っていくことが必要となっていきます。

武道も芸道も、道を求めていく姿勢です。その教育方法は、指導側も、受ける側も、互いを鍛えることにあり、また、そのことは、道徳を学ぶことと同じ意義があります。
今、文部科学省の新しい学習指導要領は、【子どもたちの現状をふまえ、「生きる力」を育むという理念のもと、知識や技能の習得とともに思考力・判断力・表現力などの育成を重視】しています。
これからの学校で、子供たちに伝えていく大切なことを、大人の私達が学び、研究していかなくてはなりませんね。
今日は、印刷物のデザインをお願いしている石田真貴子さんと朝、こんな会話で打ち合わせをしました。

ちなみに、ダンスを、舞踊と和訳されたのは、明治時代、坪内逍遙先生です。
日本舞踊は、日本のダンスということです。

<教育要綱の中に上げられました、民謡舞踊は、地域の盆踊りの賑わいにあるとおりです。
その踊りは、地域に行き踊るものだと思います。お盆に先祖の帰りを待つ気持ち、送る気持ち、地域の厳しい自然に生きている人間の歴史などを単調な繰り返しの旋律の中に、思いを込め、年齢を超え、職業を越えて踊ります。地域の方々が、伝えていくことが大切です。その地域にでかけて行き、盆踊りを体験し、地域の歴史に触れるのも良いように思います。こんな時、学校で日本の伝統のダンスの基礎授業をうけている人は、どの地域でも振りや形を覚えることが容易となり、かつ、それ以上に、多くの人と共に踊るダンスの楽しさを味わうことができます>
学校で伝統の歌舞伎ー古典舞踊を是非授業で指導できるようになったらと、思い続けています。
学校関係の方、是非、ご連絡下さい。
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by ooca | 2012-03-16 12:29
学校の授業で【武道】を教えるそうです。

歌舞伎表現を教えていく授業の方が、日本の古典文学や様々な伝統文化に興味を持つきっかけになっていくのに…。
歌舞伎は、先行芸能を取り入れていった、表現ですから、能や狂言を知ることにもなります。舞踊が基本ですから、身体表現として、男女は勿論、風や木々、波になりながら、自然と一体して、人間の喜怒哀楽を、見つめていきます。歴史にも関係します。時代時代の先人の工夫も、知ることができます。日々の中にある日本と日本人の考え方を、昔のかたちが、伝えています。心と身体を豊かにして、学ぶことの楽しさを知ります。老人の素晴らしさを知ることは、これから益々大切です。老人もしっかりしなくてはと、学ぶ時代になりますよう…。武道のような危険もありません。
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by ooca | 2012-03-14 12:06

思ふこと

小さな時から、物にも心がある、と、教えていただきました。そう言われても、信じられませんが、その考え方は、とても深く、大切なことに思います。
風や土にも、思う心が通じる。と、考えるのも、自然を、自分と同じ目線にすることとなり、好きなことです。
伝統芸能は、その考え方を伝え、大切にしてきました。本当に、物がおしゃべりして、心を持つなど、ないのですが、かつてのことが、その物をとおして、よみがえり、ちょっとした糸をつなぐように、何かを与えてくれます。昔の人たちが、大切にしてきた、人とすべてのことがらの一体感は、時間も超越し、時の経過が、教えを深くします。
3月11日、今のこの国の悲しみは、突然ではなく、もっと前から少しずつありました。過去から、未来をつなぐ。そのことは、大切だとわかっていても、本当に大切にしてきたのでしょうか。

未来を、想定し想像する過去には、大切なことを、飛び越してしまい、今を苦しめているように思われます。

伝統芸能は、伝える事、伝えていただくことで、今日まできましたが、いつのまにか、継承のできないことになってきました。伝えるのに必要な、教訓や体勢、何気ない中の教えも、いつかなくなりました。
悲しいことには、つなぐことに、皆が、興味を持たなくなっていきました。
そういった社会に、誰も危機感を持たずにいるのが現実です。
過去の教えなど、現代には、不必要のようです。新しい遊び道具が次々と、開発されます。過去に目をくれなくなりました。
現実と、反対向きに、伝統芸能はあります。
【櫻と鐘の時】は、歌舞伎と能と狂言の違いを知ることのみでなく、日本の伝統芸能全体を、感じとってほしいと考えています。
彫刻家が、全身全霊で、その固い石に向かい、自分のすべてを石にこめてほりつづけるように、舞台の伝統芸能者は、これまでのすべてを、一気に、空間へ、あふれさせます。

限りある命の中で、それまでと、これからを、つないでいこうとする精神の中に、美しい今を、お伝えすることが、できると思います。
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by ooca | 2012-03-12 09:35