市川櫻香の日記


by ooca

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世にも奇妙なお話しといった本があります。昨日は杉浦日向子さんの百物語を移動の電車で読みました。一つのお話しが短いので、電車でぴったり。
何度も繰り返し読む本は、自分の変化を振り返るきっかけになります。小泉八雲の「耳なし芳一」は、小学校二年生の担任の先生が授業で読まれました。クラス中が物語にひきこまれていきました。生徒の私達は、先生の読む声と力に聞き入り、教室一杯、物語に皆の気が広がっていきました。
考えれば、私達が放つ、見えないひとつの気は、この現象世界にその生命を表現しようとする際に、必要な道具として、肉体と心を用します。心に感じたものが、意識を持って肉体からはみ出して見えない風をおこしていました。
杉浦日向子さんの書かれたものにも、線とその外側の書かれていない空間に、見えないものを感じさせます。それは、能のように時空をこえ、これまでのいっさい、あらゆるすべてが、この空間にうごめいていることを気づかせてくれます。
歌舞伎も、動いていない時こそ激しいことや、見得をすることは、「気を飛ばす如く」肉体からはっきり発動する意識を、練習していると言えます。
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by ooca | 2012-05-29 11:33

【序】

踊りのお稽古も、茶道のお稽古も、学校で教える授業も、習ったり、教えたりしながら、懸命になっていくことの元は、頭にあるのではなく、身体を通していくことにあるとつくづく思います。今を客観的に感じるのも身体を通してなのです。
身体表現として日本の伝統芸能は古くて新しい魅力があります。芸という中に人生を見ます。

歌舞伎や舞踊についてその華やかさは、お能や雅楽にある【序破急】で考えますと、全体を通して【破】にあたると思います。しかし、その中にも、始まりの序があり、破になり急へと向かっていきます。全体を破から考える歌舞伎は、展開の面白さやスピード感を持ち、様々な力を強烈にさせ、【急】に向かい、超人鬼神を激しく活躍させます。その破は、頭で考えると絡み合っていく筋でも、付けが打ち上がり大きな見得や、大太鼓のドロドロと共に現れる隈取りの役者、青白い顔の幽霊など、歌舞伎の音と役者の動きが一体化して、劇場中を震撼させ、それがいつの間にか、見ている者の身体さえも湧き起こすエネルギーとなるわけです。この世とあの世を打ち破る程の破なのです。しかし、その中にも沈静があり、深い信心もあります。破にあって、儀式的とさえ感じる歌舞伎表現は神がかり、心身を奪われる感じさえします。
歌舞伎、この【破】にとって大切なことは、【序】の感覚のおとずれなのです。


お稽古というのは、単純なものです。一生懸命自分がそれだけになっていくことの為にお稽古しています。バタバタしてきたことが、すーっと引っ込むようになります。いつでも自分を【序】に戻します。
自戒したり、工夫したり、初心忘れずも、こんなことを言うのでしょう。考えぬくことをさけることなど、もったいないことです。この壁を越えたら何が起こるか、わくわくしながら、アスリートのようです。

一生を、参学する思いを大事に持つことは、自分の中になににもたとえられない、力強さを身につけていくことに思います。序破急もう少し考えてみたいですね

お稽古場に座ることが【序】です。はじまりなのです。
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by ooca | 2012-05-25 11:35

金環日食とヤツデ

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神秘的でした、リングになっていく間の、雲の動きも美しい共演でした。いつも騒がしいカラスも、私には少し緊張しているように感じました。さて、今日も頑張ります。

お稽古場のヤツデがカラスの足跡みたいになっています。ヤツデは天狗の団扇(うちわ)と言われています。天狗は、この団扇を持って空を飛んだりする伝説上の不思議な生き物。山神や妖怪と言われています。
歌舞伎「鞍馬山」にもこの天狗が現れます。牛若丸が、父の敵打ちの為、毎夜ひそかに武術を鍛えているところ、カラス天狗があらわれ、牛若丸に小太刀でかかります。長唄[鞍馬山]の歌詞通り、「シヤ、こざかしやと牛若丸、つけ入る小太刀を払いのけ、上段下段さそくの働き」牛若丸は、カラス天狗をうちまかします。それを見ていた、大天狗、兵法伝授の一巻を牛若丸に差し出します。この大天狗、実は僧正坊、ヤツデを右手に持って登場します。歌舞伎の演出には、楽しい秘密がたくさんあります。このお芝居も【だんまり】という、見ている者を、わくわくにさせる型やきまりが満載です。
舞台は、牛若丸が夢を見ているところから始まります。大太鼓の音は、風の音、かざおとと言います。風の音といっても、風には音はありません。木々のかさなる音、何かが風により音をたてるところを大太鼓で表現します。目をさますとあたりは、暗闇という設定です。登場人物の所作や演技を、お三味線や【つけ】という歌舞伎にかかすことのできない技術により、独特な想像世界をつくっていきます。【つけ】というのは、つけ板という板に木を打ち、歌舞伎の登場人物の精神をクローズアップする効果をはたします。動きそのもを強調させる効果もつくります。たとえば、バタバタと人が走る時、まさに〈バタバタ〉とつけを打ちます。歌舞伎の大切な役割をになっています。
「鞍馬山」は、幼い頃の義経が、牛若丸と呼ばれ、鞍馬寺にあづけられていた時のお話しです。

お稽古に通うみんなは、このお写真の小道となっているお庭を通ってきます。
桜やつつじ、紫陽花、紅葉に、このヤツデがお出迎えします。カラス天狗もたぶんいます。
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by ooca | 2012-05-21 10:52

ウレイ

秋の心と書いて、愁い「うれい」と読みます。憂い「うれい」もあります。私が好きな文字の【愁い】の方は、人生の中の大事な思いの一つです。無常感の中にある秋の心的感覚です。歌舞伎の台本のト書きに、「憂い」より「愁い」と書かれてある方が多いように思います。「憂い」は、ため息、なんとかしたいが、どうすればよいのでしょうか。エネルギーの窒息の感情に思えます。
二つとも、「鬱」(うつ)の内にあるのでしょう。でも、心の病ではありません。鬱も悪くはないのです。
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by ooca | 2012-05-18 23:55

子供、お稽古

確かに、子供の何げないしぐさの中に、本当にしぜんな風体を見ることができます。それを、見つけた時、教えた振りが、生かされているのを、ただただ見とれて、気持ちが不思議にあたたかくなります。
ー自然にうまくやりだす時には、むやみによい悪いと、なおしてはならないー世阿弥の花伝書、「年来稽古条々」七歳のくだりの通りです。

緊張しながら、他の人のお稽古を見ながら、待つ間に、きっと、何かしら作用し、踊る心地を作っていったのでしょう。
小さな時のダンスは、優しく愛らしく子供らしい心地で空気と一つになっているようなものを踊ってね。

学校が生徒を教育しないで、生徒の趣味や思考に振り回されていませんか…。学校で古典舞踊を学ぶことはこの国の歴史や風土も一緒に感じることです。
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by ooca | 2012-05-15 11:07

素敵なこと

悲しかったり、優しかったり、嬉しかったり、有難かったりが、大切に思います。
感じることは、当たり前ですが、自分から生まれます。「人と直接会って話しをしなさい」と昔からよく言われてきました。人と会って話すことは、季節のご挨拶であっても、おさだまりな対話であっても、何かしら感じあえたりするものです。
相手と共に喜びあえたり、感じ合えたりを、魂の交わりとも言うそうです

お稽古場にとり、これまで、難しい局面がたくさんありました。今ならば、どう話しをし、どうできたのでしょう、とよく考えます。
伝統芸能のお稽古場として長い年月がたちました。1対1と、時折1対多数のお稽古場です。こちらが意図するしないに関わらず、社会の中では、閉鎖的にうつる場でもあります。1対1であることは、伝え指導をするいわば教育の方法として大切なベース部分です。
このベースをこわさず、伝えていることを広めることは、情報社会の現代では簡単なこととなりました。
しかし、情報のみでは得られない、探求したり、鍛練したり、自分の中に直接とり入れ育てることで得る、感情の深みは、場に出向き、また場を皆さんと共に自分の居場所としなければ得られません。
たくさんの情報の中、学び合う場以外に楽しい場や、楽しいことをサービスする仕事は、世の中にあります。が、学び合うほどの楽しみや歓びは、少ないと思うのです。益々複雑化する今の時代、昔から学びつつ現代に生かすことや、微妙な感覚についても、今の時代の中で表現する方法が工夫されています。少し前によく聞く「現代の人にはわからない」というのは、昔と今の人の差ではなく、あくまでも個体別のことと言えるようになりました。多様化と言われる時代です。わかる人はわかるし、出来る人は出来るのです。

素晴らしい起業家が、どこか学生のようであるように、共に学び合うっていい感じですね。
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by ooca | 2012-05-14 07:42

第一回伝統をつなぐ

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今日から始まります。実行、行動も鍛練です。一歩ずつの一歩。

途中からでもおはいり頂けます。
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by ooca | 2012-05-12 09:35

名古屋の芸能史跡

金の鯱が名古屋城に上がったのは、慶長17年(1612)。当時の人達は、どんな感覚で見上げていたのでしょうか。もうすぐ東京スカイツリーの開業だそうです。四百年前の金鯱は、地元名古屋の出来事でした。当時の人達の賑わいを想像するのは、懐かしい感覚という単純な感覚ではなく、何かそのもっと奥のもの、自分たちの先祖が、喜んだり、驚いたりしている、そのことを、私も、楽しんでいるのかもしれません。
京で、出雲の御国さんが、かぶき踊りを、踊ったのは、1603年。御国さんの、かぶき踊りに、参与した名古屋山三郎が、名古屋の、<古渡>から出たことや、巾下に住む、芝居の興行師、巾下の次右衛門が、女かぶきの『此田横田早苗踊(ひんだよこたさなえおどり)』を、上演して、空前の大当たりを、とったことも、関山和夫氏の『名古屋の芸能史跡』に書かれています。読んでいると、書き残した、当時の人達の、胸の高鳴りも感じられます。
何かを始めていくことや、始まること、はじめてのことには、不安もありますが、はじまりを、わくわくしながら、大切にするのは、ちょっとした幸せです。
今月から始まる【伝統をつなぐ】は『昔から伝えられてきたもの』でありながら、私たちと同じ時代、現在にある、この伝統芸能文化を、どう受けとっていくか、このことを真摯に考えながら進めていきたいと思います。
【伝統をつなぐ】は、名古屋市外でも講座をはじめることが、出来そうです。
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by ooca | 2012-05-06 21:49

漢文調

昨晩、中島敦について話した。
中島敦のすぐれた文章は、漢文調の、打てば響くような、みずみずしくて篤くするどい。
今、徳川美術館に併設されているほうさ文庫で、尾崎久弥コレクションが展示されています。その尾崎久弥氏が寄稿したプログラムの挨拶文なども漢文調でした。
尾崎久弥氏は、物心つかない頃からの、私の憧れの先生です。プログラムの文章は、伝統芸能への叱咤激励。たまに読み返しても、未だその熱が伝わる。祖父も漢文調で、短く威厳ある手紙だった。
漢文から、中国の古典へと進むことはなかったが、漢文調の文章には、自分がその場で、励まされ叱咤される感覚になります。はるか遠くを見る心持ちも、教えられました。
『李陵』を読み直してみます。

今日は、御園座
【ふるあめりかに袖はぬらさじ】
に囃子方でいらしている、喜三代さんと一緒に、彼女の父堅田喜代蔵さん、叔父、杵屋栄津五郎さん、叔父、岡安南蔵さんの懐かしいお話しに花を咲かせました。
玉三郎さんの映画『夢の女』のお三味線も、栄津五郎さんでした、映画の中の不思議なリアルが、夢のような感覚で感じられるお三味線でした。明日は体験講座です。
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by ooca | 2012-05-05 00:18

油断大敵

油断大敵というのは、自分への呼び掛けですね。「気をつけて」「油断しないで」ということ。
型や作法、振りは、油断をしない、または油断を寄せ付けない気持ちで覚えます。
大敵の方は、自分自身の中にあるわけです。そう思うと、型や作法や振りを、表現と考える以外に、自分の内にひそむ大敵を型、形の中で飼い慣らす、閉じ込めるということでもあるのです。
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by ooca | 2012-05-02 08:32