市川櫻香の日記


by ooca
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<   2012年 06月 ( 7 )   > この月の画像一覧

季節のものさし

今の時期は、ゆかたを着ます。紺地に白抜き、白地に紺染めです。ゆかたは、昔は白と紺が多く、私もほとんどこの二色です。どちらを着るかは、その日のお天気なり、心持ちで選んでいます。雨の月、湿る時は、つややかでのびのびした草や木、石や道も、水を得て潤って、ゆかたの白地はよく映えます。この時期から、夏の盛りまで、私は、白地のゆかたを着ています。夏も終わりになり秋の予告には、紺地。若い人たちには、晩夏の白も、名残りの夏を追いかける若さによく映えますが、この頃の私には、白は梅雨から夏の盛りまでのようです。秋の訪れ時期には、白は、たち過ぎて、ごとごとしく、気持ちにそぐわなく感じるからです。よく考えたら、昔から周囲は、そんな感じで、季節を予感していましたね。
上品に、白地のゆかたを着て、初秋の日差しをうける自身を思いうかべてみますが、やはり、さみしさが立ちます。夏の終わりのお化けのように思えてしまいますから、年とともに着こなせないものとなってくるのですね。

今日は曇りです。やはり、まだまだ白地かな…。
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by ooca | 2012-06-28 10:10

実験的に子守唄

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赤ちゃんは、すぐに寝てしまいました。
赤ちゃん『櫻香先生とは初対面です。先生の唄う「七つになる子」で初めて踊るお母さんに連れてこられました。背中にいるのは、生まれたての僕です。この体勢になる前は、お稽古場脇で寝かせられていたわけですが、赤ちゃんは、泣くものです。思いっきり泣きました。
そこで、先生のご提案、僕を実験台に<四百年はたつという子守唄で、現代の赤ちゃんは寝るのでしょうかー>
踊るお母さんにおぶさることになったわけ。で、先生の唄う「七つになる子がいたいけなことゆうた〜」のあたりで、ふわぁとなって、次の「さても、さても、そなたは、誰びとの子なれば〜」で、完全不覚、意識は夢の中、この通り、はい、寝てました。有り難うございました。
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by ooca | 2012-06-21 20:40

素敵になること

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紫陽花にカタツムリがいなくなったと思っていると、お稽古を終えた響子さんと馨士郎さんも同じことを言ってます。小さなお庭に遊んで、紫陽花を一輪、水に浮かべてくれました。この一輪こそ、大切に思います。
踊りは、いつの時代にあっても人気の高いものです、日本の踊りは江戸時代後半の、寛政期には、江戸中の娘、武士の家までが踊りを習わせるようになり、踊りや三味線など、芸のすぐれていることは、女子の御殿奉公に必要で、唯一身分にかまいなく重要なことだったそうです。江戸屋敷への奉公は、寺子屋の次の段階、現代でいう大学に行くようなものと想像できます。裕福な子女が、江戸の教育過程を経ていくことは、良いお嫁入り条件であったと、大口勇次郎氏の「女性のいる近世」に示されています。
幼い時から、習い事で身につけた芸能は、今でいえば、学歴と同じ、大切なプロフィールとされました。
大名奉公の娘達が、【お宿下がり】という、お休みをとり実家に帰るところを舞踊にした踊り「屋敷娘」や、「鏡獅子」も大名家に勤める、豊かな女子の生活を見ることができます。
現代の塾はさしづめ寺子屋的であり、多数の子供が通い。小さな頃から通う、お稽古毎は、師弟1対1で身につける教養過程。
現代、教育の中に、この教養過程の欠落を埋めていく役割を考えていく視点を大切に思います。
人生、教養から教育へ進み、教養で終えることが素敵になること、とちょっと思います。
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by ooca | 2012-06-10 18:08

歌舞伎を習う

「日本の伝統文化をつなぐ」12期生の【あいらぶかぶき】、菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)「車引」お稽古開始。昨日、市川新蔵先生の特別稽古でも「車引」の台本を使い、義太夫狂言の大(おお)時代な台詞のお稽古、伝統文化をつなぐの生徒も受講。新蔵先生は、歌舞伎舞台で鍛え上げられた技、気により、空気を一変し、本意気に引き上げます。何でも同じですが、学ぶならば、学ぶに対する、意思と気力を普段に備える準備が必要。阿朱花さん梅王丸で、はっきりお腹に落とす台詞を習得。あいらぶの子供達は、希望者受講。今期の「あいらぶ生」は、本人たちのやる気次第で歌舞伎上演の機会を得そうです。犬山市でも、【日本の伝統文化をつなぐ】「あいらぶかぶき」生徒募集始まりました。こちら、子供のみでなく大人もあります。歌舞伎体操からスタート。体も心も力一杯使いますよ。
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by ooca | 2012-06-09 14:46

とらのお

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昨日は、大先輩のお宅へ、過日のご挨拶に伺いました。先日の日食の朝、事務所に一本のお電話がはいりました。「もう私は九十歳になります」と、いろいろお話しを伺いお宅へ向かうことになりました。お住まいは名古屋の南、高台にある昔からの住宅地です。人生の最晩年を迎え、自身のまわりを整えられていく暮らしは、心持ちがあらわれた住まい方でした。「人間の究極のところ、余技に生きることがほんとうの在り方なのであろうか、と」白洲正子さんの言葉を思い出しました。再会を果たしたいと思う余りを残したのが、初めてお会いした印象でした。昨日は、その出会いのいきさつを、その時には話せなかったことを、ふりかえりながら、時を過ごさせて頂きました。さらりとおたていただいたお抹茶に、私へのねぎらいや励ましまで感じとれました。お話しをさまざま。帰り際に、写真の草花「とらのお」を頂きました。ちょうどたまご色に草の柄のひとえの着物を着ていましたので雰囲気が重なり季節を感じながら帰路。
つくづく日本の芸術は日常にあるとはこの様なことだと思いました。茶道の中で育った生活人の、その伝統にそった物や事、私のような不完全な者をも、招じ入れる。日本の伝統芸術の余地を感じさせて頂きました。芸術の伝統を軸にして、生活されたその姿に、深くあこがれを抱きました。
生き方の名人に出会った心地です。有り難うございました。
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by ooca | 2012-06-07 23:30

花へ

生まれた時より、祖母、叔父で営んでいた教室には、池坊のいけばなを指導する丹下雪枝先生が来ておられました。人に教えるにあたり、この先生のことをよく思い出します。子供の私に、大人に接するのと同じ様に、私の生けたお花へご指導下さいました。神妙にして、話される言葉、その手先、「拝見させて頂きます」とおっしゃられているような、いや、そのようにおっしゃられていたと思います。着物を着られた先生の横、やや後ろ脇のお体。お顔は、思い出したくても、私の記憶には、その手をおかれたお膝あたりまでしか記憶がありません。しかし、やさしい声で、ぐっと低く上体を前におしだされ、お花を見られるご様子はよく覚えています。おもむろに「結構でございます」とおっしゃられて、その後にひと言ご指導を下さるのが、先生のお稽古の流れでした。越後獅子の、「好いた水仙、好かれた柳・・」のくだりの踊りの振りは、水仙を生ける振りとなっています。小さな頃習ったこの振りを、特別な感覚を持って踊りました。背を正した丹下先生を思い出し、まるで丹下先生に自分がなったようにしていました。
私の小さな頃の生け花の品は、お花屋さんからあつらえられた整ったお花ではなく、皆さんが生ける際に切り落とした、たくさんの種類のお花や枝、葉物の切りくずとなったものでした。小さな私は、その無数の葉や枝、花から使うものを選び、大人の人をまねて剣山にさしていきます。さし終えると、先生のところに行き、「お願いいたします」と言い、指導を求めごあいさつをします。すべて、畳での動きです。先生は、生花の見方、使い方を静に指し示して、天、地の配置を教えてくださいました。何かわからないままにも、お花を通して、何かをいつか感じていきなさいということだったのでしょうか、門前の小僧宜しく、かわいがって頂きました。
今もお花を生ける時に必ず丹下先生を思い出します。
豊かな花の伝統は、生け花を、あそびの、もよおしごととしてだけでなく、花を通し、身や心を寄せて悟りへ向かう頼りとしてきたと思います。その境地にいたるかもしれない、一挙手一投足ですから、呼吸も整え花に向かうのでした。おのずと祈りをこめ花と向かっていくのです。
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by ooca | 2012-06-03 23:10
昨晩は、りきさん舞花さん、阿朱花さん、千花さん、お弟子さん他、仲良しメンバーで久しぶりに、お鍋を囲み、夜遅くまでおしゃべり。場所は、西区の「しゃしゃんぼん」、初夏にあわせてあっさり極上の鳥のお鍋でした。木造の古い自邸をお店にされています。お庭を見ながら、思い出したことがありました。環境という歴史のことです。環境の中に、自分から「挫折」を感じさせる場があったどうかというのは、想像力を持つ上で大切なことだと思いました。伝統芸能は、今より昔の先生の方が、天才努力型だったと思います。
テレビで文楽を放送してますが、形づけられた中にいることに、腹立ちがある感じがないことが、芸が小さいという感覚をあたえるのでしょうか。ハングリーでいることを、自分の熱さの感覚に対しての目盛りに思えます。おやすみなさい。
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by ooca | 2012-06-01 23:10