市川櫻香の日記


by ooca
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想像を想像してみた講座

先程終わった、【伝統をつなぐ】育成講座、[狂言から受け継いだ歌舞伎のケレン味]たくさん発見が出来よかった。狂言の佐藤融さんをお迎えし、能から歌舞伎への流れを現実に知ることができた。
能『一角仙人』の昔の本に、歌舞伎『鳴神』の黒雲、白雲のような、人物が書かれていて、本を読む限り、かなりきわどい内容の台詞があったということなど、今は上演されていないので、面白い。能狂言が、現在の形になる前、削ぎ落とされた部分のお話しを伺い、その削ぎ落とした部分が、現在、歌舞伎に受け継がれているものもあると考えられ、つながっていく形の流れを推測。やはり現在上演のない能【羅生門】の鬼の腕を使った演出があったというお話しも、歌舞伎【戻り橋】を想像できました。こういったお話しは、想像と工夫の積み重ねが感じられ、この流れのエネルギーに力を頂きます。
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by ooca | 2012-07-25 00:30

昨日と【黒谷】

昨日のあいらぶかぶきは、久しぶりのお三味線のお稽古と、車引、義経千本桜奥座敷の安徳帝のお稽古でした。
皆さんに、歌舞伎の台詞を指導するのは、浄瑠璃を土台に指導します。現代的な発声との違いは、母音を使う声の力の出し方にあります。
昔、浄瑠璃の先生から、お稽古を終えてお話しして頂いたことを引用しています。【ろうそくの炎を動かすことなく、語る】このことを実行するのは、ろうそくの炎を想像さえできれば、実際にろうそくがなくても、先生がお伝えになりたいことを体に身につけることはできます。
安徳帝役の一番小さな女の子は、お歌を歌うように母音を歌いがちです。ろうそくの代わりに手の平に、口を近づけ、母音があたる感覚を息でなく、お腹からぐっとのぼってきた気のような力、これをあてるようにと、伝えてみました。少し言葉足らずで、時間となってしまいました。梅王丸をお稽古しているしっかりさんの男の子、台詞を息で切ることで理解しようと工夫をしていました。あともう一歩です。次のお稽古まで、さらに工夫を、重ねていることを楽しみにしています。皆さん、頑張ってください。

来月末に、團十郎先生、ぼたんさん、海老蔵さんご出演による、国立能楽堂での舞踊、市川流リサイタルが開催されます。【黒谷】を、ぼたんさんの敦盛、玉織、小次郎の三役で上演されます。お父様とお二人での黒谷を、いつか拝見したいと思っていました。【黒谷】は、歌舞伎【熊谷陣屋】の後日譚です。能楽堂の空間に、過去と今を往復しながら、熊谷次郎直実の精神の葛藤が現れてきます。それは、亡霊に語らせながら、また、戦場に生きた武士が、人間の本質に目覚めていく心を、太棹にのせて。
團十郎先生がお書きになられた、この黒谷の初演を名古屋能楽堂、櫻香の会でさせて頂いたことは、大変ありがたくもったいなく思っています。あの時期は、ご病気後のことでした。團十郎先生の身体が、私には、空間と身体の稜線が溶け合っているように、透明に感じられました。能舞台の立体空間の中を、一杯に、團十郎先生のすべての気能からつくりだされた黒谷は、人間の可能性を強く感じとることが出来ました。12代團十郎師のすべてが現れていくのでしょう。大病と向き合われた、術後、お打ち合わせに伺いました病室での團十郎師の横顔は、【黒谷】の庵の炉の火を見つめておられるようであったと、このところ思いかえしています。8月31日(金)の上演、心より嬉しく待たれます。
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by ooca | 2012-07-22 18:13

シューズデザイン

大雨のすごさ、人間のつくった家を、簡単に流しました。家をつくること、まだまだ考えていくことばかりなのですね。被害にあわれた方に、心よりお見舞い申し上げます。

インターネットは、昔の友人の様子を知ることができます。10年ほど会っていない友人たちが、変わらずモノづくりに向かいあっているのを、見つけました。海外の靴を日本に紹介する仕事をしていた彼らは、日本にインポートの時代を作った仕掛け人です。日本を代表するデザイナー坪内浩さんと、イタリア在住の村瀬由香さん。つぼさんは、ヨーロッパで本物を見てきた彼が、海外に肉薄する、日本での靴づくりを、自身のブランドで発表していました。クラシックに、ひとひねりした靴は、スタイルがある、いわば、つぼさんの、日本の上等への志を感じます。(つぼさんデザインとは知らず、パトリックのシューズ気にいってました。なぜ気にいったかというと、日本的な様式=スタイルの方程式のようなものを持った外国のシューズだったこと)
村瀬由香さん、彼女のポジティブな志向は、彼女の感じる日本と靴がミックスされ、華やかな江戸の花魁を思い出すほど、楽しい靴をつくっていました。若い頃の彼女が着物を着る時の方法や、コーディネートの発想は、無から有を創る感覚でした。彼らが靴に向き合い、30年。自分に頑固で、社会と向き合っていくスタンスは、昔風な言い方ですと、社会に対して志を持っている人の仕事です。今で言うと、このことが個性でしょうか。外国文化のクラシックをとことん学んだ2人は、今、自分のこれまでを社会へつないでいます。坪内浩さんは、日本のモノづくりに、村瀬由香さんは、海外で、日本の江戸文化の発散を、それぞれ靴で紹介しています。靴は、外来の産業です。これを、日本のクラシックの精神と、橋渡しをしている2人の仕事に、大変面白さを感じます。
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by ooca | 2012-07-13 10:39

さまざま、昨日今日

先日、お世話になっている、名古屋友禅の絵師の方が、平影清の子孫であることを知りあまりにも身近で驚きました。「えぇーあの影清さんですか?」平影清は、その名そのままの古典曲があります。その内容は、歌舞伎や文楽にある「阿古屋琴責」(あこやことぜめ)を知っていると、かなり面白い。「阿古屋琴責」場面は、影清の行方を追う、源氏方の詮議を受ける影清の恋人阿古屋。阿古屋を詮議する秩父庄司重忠は、「三味線」「胡弓」「琴」を阿古屋に弾かせ、音色に真意を問います。重忠は思慮深い男として当時から人気者だったようです。「影清」の曲の終盤に、阿古屋との痴話喧嘩の描写があります。影清が、重忠の人気にやきもちをやき、どうせ自分などは「おじゃまであろう」とふてくされます。身近に親しめます。
昨日も、「日本の伝統をつなぐ」の件で、市内の学校に伺いました。校長先生も、日本の伝統芸能のお稽古が、生徒に歴史や風習に興味をわかせて、自然の音から生まれた感性を体と心を一つにすることにつながると理解されていました。授業の方法を話し合いました。まず、生徒たちには、日本固有の伝統音楽と、今の音楽とは全く別と教えなくていけません。手拍子では教えられないものと、理解させることは、最も大切です。一つの音に集中、そして、曲の乗り、速さは、洋楽の拍子感をもたないからです。ですから、影清のような古典曲など、1音1音に演劇的想像を感じる感性を重要にします。作品そのものの理解や、味わいを丁寧に伝えることは、日本の歴史や風習、庶民の思考を想像させます。丁寧な多岐にわたる話しを必要とします。拍の譜面を使う洋楽化した演奏者の三味線では、踊る者も語る者も、骨が折れるどころか、メトロノームに追いかけられているようになり、味わいも想像ものぞめません。本来、演奏者は歌詞だけの本を使い、三味線部分は昔からの記号譜を歌詞の横につけ
ていました。
語りに語らせて間を創っていくことは、難しいことですが、それが三味線でした。うるさく言われる〔間〕は、日本の庭園の、〔ししおどし〕にも感じることができます。自身の感情と息の関係が密接であることも、授業の中で大きく強く表現しながら理解します。息は、長短にかかわらず1拍とし、集中した深さで、あらゆる表現者は一つの作品を作ります。
深い息づかいを意識し、想像、心と体を鍛える、日本の古典の伝統の教えです。多数の生徒であろうが、生き生きとした感性をぶつけ、揃えあわせていくことを歌舞伎で伝えます。
今月からの育成講座は、毎週火曜日夜です。この講座は、主にお話しが中心で進めています。ご興味おありの方、ご参加いつでもお待ち致しております。
影清のご子孫は、お父様が戦争の時代に、家系を伝える古文書を持ち、戦火を逃げられたので、私も大切なものを拝見できました。
過去から、現在のつながりを感じることで、生まれる感情は、深く透明なものに思います。
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by ooca | 2012-07-10 10:00

楽しみながら知ること

丸中のみんな、歌舞伎の授業どうでしたか?私は今年もたくさん元気を頂きました。伝統の歌舞伎を伝えるというのは、今の自分と今のみんなと、気持ちと体を日常の100倍使ってつくる時間のことです。中学生の年齢は、大人でもなく子供でもなく、ふわっとした確定されていないところを持つ、大切な時期です。素直な心体に、想像の型紙を心と体にあてることを、私なりの方法で伝えた5日間でした。
9月9日(日)歌舞伎ワークショップを愛知県芸術文化センター小ホールで開催します。
皆さん、歌舞伎体験、経験者の方も初めての方も、ぜひ。
古典や伝統に接していくいくうちに私なりに理解出来たことは、古典を学ぶとは、現代の諸問題に対する解決の原則というものを、力強くちゃんと伝えていることを知ることでした。ここに妙味があると思うようになりました。学んでいくことを、ライフスタイルに考えていく人生を、私達のお稽古というものとつくづく思いました。人間いくら偉くても、いや、偉ければ偉いほどやっぱり学ばないと。お稽古場にある格言の一筆「古人の言、我を欺かず」
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by ooca | 2012-07-05 09:48