市川櫻香の日記


by ooca
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昨日の小唄「文の会」

昨日「文の会」を盛会に終えることができました。沢山のお客様には、昔からのお馴染みの方々、邦楽ファン、初めて小唄を聴く人、皆さんに楽しんで頂けたようです。終演後急いでロビーにまわると、話のつきない賑やかさで、お客様が思い思い楽しまれていました。
主役は、会主含め小唄春日派のお師匠さん三人、合わせて250歳の演奏とお話しでした。司会の奈良まなみさんが、丁寧に解説を入れその間合いも、せかず緊張を押し付けず、次の演奏を待つひとときを、演奏者任せのムードを作ってくれた功績は大きかったと思います。小唄のお話しでは、春日とよ紅葉師の、「小唄はシャンソン」と話された言葉に、皆さん興味を持って頂けたようでしたが、それより、やはりご高齢にしか出せない色気、鮮やかなお花のような印象が、何より皆さんに、勇気と元気を与えたようです。
今朝は昨日の感想のお電話を頂き、会場入口でお渡しした、演奏歌詞のプリントが好評。直前に歌詞があれば、小唄は絶対楽しめる。と、急いで作ったそのかいあって皆さんに喜んで頂くことができました。小唄の一曲は2〜3分の短いものですから、会場で感覚的に覚え「歌詞を見ながら口づさんでみたわ」というお話しも聞き、小唄の気どらない感じは、和の文化の窓口にもなりそうです。
伝統芸能の公演を終え、皆さんに、何をお伝えすることになったかを、知ることは自分の勉強でもあります。唄いかたや三味線の技術力を学ぶのも大切ですが、人生力、人生にかかわっていく芸術として伝えていくことの大切さを昨日もつくづく感じた1日でした。
昭和の時代に芸術を牽引した、菊池寛のエッセイに、芸術に対する考え方があります。〈文芸作品の内容的価値〉に、「私は、芸術はもっと、実人生と密接に交渉すべきだと思ふ」(大正時代に書いた文です)これは、文芸のみの事で触れているのではなく、演劇、歌舞伎、邦楽、芸術に対する見方をしめしています。
昨日のとよ紅葉師、とよ喜扇師、大先輩らの舞台から、幾多も乗り越えられたであろう、芸能と人生を、感じることができました。これは生きていれば手に入るとか、芸術を継続すれば手にできるというものではありません。
ふわりと身にまとった人生の味わいを、先輩達の小唄に感じとることができましたことは、貴重な体験でした。
最後に、團十郎先生を偲んで津賀寿さんの太棹と小唄の中棹での演奏は哀愁もあり、歌舞伎味も深く味わえました。
お帰りのお客様から、「有り難う」と言われ、「こちらこそ」と沢山御礼を言えました。
最後になりましたスタッフの皆さん本当にお疲れ様でした。
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by ooca | 2013-04-30 17:10 | 櫻香のつぶやき
4月29日の愛知芸術劇場小ホールでは、伝統の邦楽、小唄・端唄と歌舞伎の関係の密接さを知ることができます。歌舞伎の黒御簾音楽、幕内では「カゲ」と言います。舞台下手の御簾の中で、歌舞伎のお芝居の情景や心象を際立てる役割をします。長唄の唄方、三味線方で演奏されていますが、曲は、清元、常磐津、長唄、小唄、端唄などや、また、そのお芝居の為に作られた、いわゆる「つくり物」もあります。この会でも、歌舞伎の世話だんまり(暗闇)に使われる「梅雨は尾花」を聞くことができます。この曲は、8世市川團十郎の編作ともいわれています。しっとりとした中に、色気を感じさせるように演奏することになっていますが、技量の備わった方々の演奏となると、凄みもききます。この会はお三味線の春日とよ喜扇師、唄のとよ兼寿美師、年齢を書いてしまいますと、合わせて169歳の演奏となります。他にも、歌舞伎のお芝居を唄った「助六」や弁天小僧菊之助の「緋鹿の子」、三人吉三を唄った「大川端」、「蝙蝠(こうもり)」は七代目團十郎を唄ったもので、当時の人気がわかります。

そもそもこの小唄の祖といわれているのは、隆達という僧であったと、小野武雄編著「江戸音曲事典」(昭和54年に発行)に書かれています。内容がとても興味深い。「隆達という、日蓮宗の僧が、堺の顕本寺の院内に住んでいたが、故あって還俗し、大阪の薬種屋高三(たかそう)氏の家に入って、終に商人となった。彼は常に音曲を好み、小唄の一流を謡い出した。その唱はつねにやさしく、人の心をやわらげ教訓にもなったという。世人はこれを隆達節といってもてはやした」とあります。成る程、僧から薬種屋の商人になり、病を直す薬を売りつつ、人の心をやわらげる唄をうたったのが始まりと知れます。この隆達の精神が、小唄の伝統の元にあるわけです。小唄には、口ずさむことで、それまで重く心にのしかかってきたものが、ふと軽くなったり、何かしら目線をかえるきっかけになり、その身近な歌詞を声に出してみることで、結構な効果があるのです。習っている方や老齢な、お師匠方を拝見して、その朗らかさからもその効果を感じます。叙情詩の精髄の歌詞と、爪弾きの和かな三味線の音色に、気持ちがほぐされるのは、現代も変わりません。『堺鑑』(天保三年)隆達小唄の歌詞「梅は匂ひよこだちはいらぬ人は心よ姿はいらぬ」が載っています。ちなみに私は雨の日は長靴を履いて「雨や大風吹くのに唐傘がさせますかいな、はい、骨がおれまする」を口ずさんでいます。
当日、私は『七福神』を踊ります。こちらも、長唄最古の曲とされ、日本神話から、ぐっとくだけて引きもの尽くしが唄われています。その中に「子供たちゃござれ、宝引きしょ」とあります。『江戸年中商』に、辻宝引きの絵が載っています。子供達が紐を持つ物売り姿の大人の周りに集まり、紐を引いています。くじ引きのことです。お正月に辻宝引きという商いをする者が町々の子供達を集めて行っていたそうです。
他に引きものは、眉を引く、琵琶や琴、三味線に、横雲など。振りと歌詞に江戸の暮らしや心根も見えてきます。
皆様のお越しをお願いします。
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by ooca | 2013-04-18 11:48 | 櫻香のつぶやき

年来の疑問が解けます

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お稽古場に入る小路の八重桜が、今年も艶やかに咲き揃い、今日も華やかに彩っています。きっと皆さんもお好きな場所をお持ちだと思います。この小路、お手入れがなかなかいきとどかないのですが、普段は、桜の今や、枯れ葉の秋も、お掃除をし残したぐらいの方が、すっきり掃ききった時より風情があり好きです。
お稽古場に向かう時、ちょっと小休止の時、枝葉に目をやり、置かれた石に目をつけたりします。年来の疑問が、ふと解けるきっかけがあります。想像を創造に切り替えるスイッチがこの小路にあるようです。
先生がこの世から逝かれ、早ふた月を過ぎました。
團十郎先生のことを思うと、皆、涙がでます。私は、私の心に優しい心を置いて下さっていると感じています。新蔵さんも鞄からお写真をとりだして見せてくださいました。「だ」というだけで、涙がこぼれると二人で話しました。
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by ooca | 2013-04-15 14:44 | 櫻香のつぶやき

能から学ぶ

先日は、能楽シテ方の重鎮、梅田邦久先生のあとを引き継がれる方が道成寺をひらかれました。次の日に、梅田先生から道成寺の様々を伺いました。あっという間とはこのことです。気づくと3時間半もたっていました。道成寺は勿論、お能の一角仙人から取材した歌舞伎、鳴神に見るように、元になっている作品の心を演じてこられた能役者に伺うことは、視覚的な歌舞伎を学ぶ私にとり大切なことと思っています。道成寺、鉄輪の女性を、女性の私がどう捉えていけば、この女性達が喜び、さらに、深くその境地にかかわれるか、梅田先生との会話は、結局男女の考えの違いでもなく、歌舞伎と能の違いといった単純なことではない、人間その人によることという結びで終わりました。
先生の芸養子の方の道成寺を拝見し、梅田先生が伝統の受け渡しをつむぎ、立派な節目を迎えていく鮮やかさを感じました。「竹は節が多いほど強い」と帰りに立ち寄った、本屋さんの本のタイトルが、心に刻まれました。

名古屋は市長選を迎えています。
「豊かな生き方」を伝えられるリーダーを選ばなくてはならないと感じています。
私はもう決めています。
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by ooca | 2013-04-10 19:43 | 櫻香のつぶやき
止まっているものと動いているものの関係を、区分けしない
その間に見えない力のエネルギーがあることを、たとえば、彫像などの最初から
動かないものが、作り手により激しい力を感じさせる。身体表現者もデザイナーも
写真家も彫刻家も、その際を極めるという考えが作品に力を与えていることを確認
したいと思います。どう確認できるかを追求すれば、素晴らしい作品のヒントに遭遇できます。
この中でデザイナーは、編集ということになりますが、でも、他実演家作家と同じ感覚である
ことはすごく大切です、一層作品の際が際立つはずです。

今年はたくさん学びます。
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by ooca | 2013-04-05 23:09