市川櫻香の日記


by ooca
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<   2013年 07月 ( 2 )   > この月の画像一覧

  鑑賞の手引き・・・

傀儡師というのは、街頭芸人の人形まわしのことであります。
この人物の登場する、清元の唄い出し
   
 清元:歌詞 「竹田の昔 囃(はやし)ごと 誰(た)が 
                       今知らん 傀儡師」
    
   字句解釈 
     
   この<竹田>とは、竹田近江の人形からくりの芝居である。
   初代の竹田近江は、阿波の生まれで、江戸で暮らしていた
   が、ある日、浅草観音に参詣(さんけい)し、その帰途、子供
   達が、砂遊びをしているのを見て、砂時計の工夫をした。
   それから京都で、からくり人形を作り、万治元年(1658)
   に、それを朝廷に献上し竹田出雲の名を受領し、翌年、名を
   竹田近江と改めた。そして、寛文2年(1662)に大阪の道頓
   堀で、初めてからくり人形芝居を興行した。
   二代目出雲(初代近江の孫)は、宝永2年(1705)に竹本座
   の座元となり享保の頃から、座元を兼ねて浄瑠璃(じょうるり)
   の主作者となり「仮名手本忠臣蔵」「義経千本桜」
   「菅原伝授手習鑑」など名作を作った。
   その竹田の芝居の中には、傀儡師の人形からくりもあった。
   宝暦の頃から大道芸人の傀儡師はいつとはなく姿を消し
   この曲の文政時代には、もう見られなくなっていた。
                <傀儡師:日本舞踊全集より引用>

   日本の人形劇史に普及の名をとどめる竹田氏の系譜は
   17世紀に、からくり芝居を創案した竹田近江に始まる。
   続く初代竹田出雲は、大阪に竹本座を創立、今日の文楽
   の礎を築いた。
    <竹田氏時歴 文学博士 河竹登志夫(平成10年)>

     
 清元 歌詞  「小倉の野辺の一本薄(ひともとすすき)
             いつか穂に出て、尾花とならば
                          露が妬まん恋草や」

   
    傀儡師がこの部分を、唄ったそうです。
    恋を語るところへ、お話がいくわけです。

   まず、恋心から、恋が深くなっていき、と語られ、四海波
   
   子宝に恵まれ、三人兄弟のお話。

   長男は、鷹揚に、父の前でも懐手、女色の道楽、
   
   次男が背が高く堅物で、三番息子は色白で
   
   寺小姓にやって吉三郎と呼んでいる。

   これより、お七と吉三郎の恋話。

     
 清元 歌詞 「恋という字の書き初めを
              湯島にかけし筆茅花(ふでつばな)」

   この部分h、お七が11歳の時、書き初めの額を奉納し

   たことと、その筆跡がまだ幼いことをいっているそうです。
  
   振りもそのような気持ちのままに付けられて、可愛らしく

   なければなりません。


   さて、次は、がらりと変わって

 清元 歌詞 「其処らへ、ひょっくり弁長が・・・」

   と、チョボクレとなります。

   チョボクレというのは、木魚、あるいは鈴、花錫杖をもち

   拍子をとりながら、卑俗な唄を早口に、読経のように

   うたい生活する者のことです。


 清元 歌詞 「これはさて置き・・・」

   と気持ちを変えて、牛若丸と浄瑠璃姫の恋話。

 清元 歌詞「矢矧の橋は、長けれど、
             逢うたその夜の短さよ・・」

  端唄で、軽くのりながら、次の合戦に急展開となり

 清元 歌詞「うらみつらみも 波の上・・」

  舟弁慶となり

 清元 歌詞 「そも そも これは 桓武天皇九代の後胤
          平知盛幽霊なり、ああら 珍しやいかに
              どうで、義公  娑婆以来」
  
  義公は、義経をふざけて言ったものです。
  
  娑婆以来は、久し振りという、江戸好みの洒落言葉


 清元 歌詞 「馴染みの弁州、伊勢、駿河・・」
  
  もちろん、弁慶、はじめ一行を、洒落言葉にしています。

  傀儡師一人で、人形をまわすように、踊っていきます。

 
 「街頭芸人が、自分で語って見せている気分で」

  と、踊る心得に書いてありました。

  なかなか、うまくはいきませんが、一所懸命つとめます。

  
  7月27日(土)午後4時開演
  犬山市市民会館・南部公民館 

  お切符=0568-67-2411(犬山市民文化会館)
  メール=mkabuki@docomo.ne.jp    

  是非、お出かけくださいませ
        お待ち致しております。




   
   
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by ooca | 2013-07-12 22:37

福君来る 昼下がり

神妙に、現れました。
良い兆しであります。福君と呼ぶことにしました。

「建中寺」で「筆屋幸兵衛」の催しは、ある本がきっかけです。

まず、この開催をお引受けくださった、建中寺様、清元志佐雄先生に
心より感謝致します。

さて、この催しのきっかけになったある本とは、ちくま文庫から2008年に出版されました
「武士の娘」杉本鉞子著です。1925年にアメリカで出版されたベストセラー。

<高貴で思いやりに満ちた日本人の価値観を、私たちに残してくれた>と
この本の帯を櫻井よし子さんが書いておられます。
日本人の価値観を、文字から身体に写すように、著者杉本さんが、武士の家庭で
身につけられた潔く強い精神の元を感じることができます。

実演により、全身で感じていくことは、言葉ではない感覚の世界になっていくことです。
そういった時に、型や心を培ってこられた、優れた実演家であられる方々の存在は
大切な<伝統のつなぎて>として、私達に一つの共通した精神を与えて下さいます。
武士と伝統芸能者は共通する世界にあるのではないのでしょうか。
伝統芸能者は本来、心情志を一にしているのです。
日本の文化芸術は、独自な世界観で創られ、その元は武士の家の教育にあることを
知らなければならないと思います。

皆様にも、お祖父様やお祖母様の様々な思い出があることと思います。
私も、祖父が、時折「建中寺」に一人で出かけていたこと、それにどんな思いがあったのでしょう。
その後姿を、よく覚えています。
祖父の戦後は、辛く厳しいものであったと感じています。

さて、明治維新と武士について、私達は、この7月28日(日)午前11時より。
武士が、かつて、通ったその建中寺をお借りし、黙阿弥の筆による
御維新後の厳しい武士の生活を描いた「筆屋幸兵衛」を聴かせて頂きます。
現代に生きる私達に、その場とその心で、何がしか、刻まれるものがあるのでは
と想像しております。

是非、皆様、共に、この時間を。

お問い合わせ・メールにてどうぞ。または、FAX052-323-4575
参加費は、3000円(お抹茶、季節の御菓子も含む)
主催=日本の伝統文化をつなぐ実行委員会f0228641_1615035.jpg
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by ooca | 2013-07-05 16:15