市川櫻香の日記


by ooca
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半二とアレン

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近松半二の創造は
カラリとしながら
どんでん返しの
を組み立てていく。
朝顔を萎ませ憐れな若者にたとえ、つぼみの早咲きの梅に女子の失恋をあんじさせる。
桜の花を散らしては、若い男の心を見せていく。
半二は、これまでのウェットな人形浄瑠璃や歌舞伎芝居の世界観を広げ、たとえに花をモチーフに哲学的な想像の世界をつくる。
半二が楽しんでいる。
ドライと知的な匂い。
ウディアレンの感覚とちょっと似ている
「本朝廿四孝」と
「教授のおかしな妄想殺人」
ブラックではないシリアス。
音楽もヤクシャも話をテンポ
よく進めていく。廿四孝の二段目と、アレンのプロット、話の因果関係が成立していく仕組みも、ドライに行われる。
おもしろい!
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by ooca | 2016-06-27 21:43 | 未分類

ひび

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名古屋はくもり空。
朝から子供達とお稽古、そして、三人吉三、2時開演なのにーお稽古。
出演の二人を送り出して
小三代先生から推薦の、たいへん珍らしい曲「虎少将道行」を聞きに行きます。
勿論「三人吉三」拝見。
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by ooca | 2016-06-25 13:42 | 未分類

場と空気

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お稽古場の普段は一般の方は
入れません。それは、「特別区」芸の為の場だからです。いつでも、芸の研究は始まり工夫や話し合いの積み重ねを培っています。今日は、関西松竹水口一夫先生と狂言の佐藤友彦先生の同い年二人により、能から歌舞伎、元禄以前、以降のこと。何を目指すか。技術ではないもの。近松半二の組み立て。名人伝。六代目菊五郎の道成寺。八世橋岡久馬の遊行柳。お稽古の方法と失態。そして、初の【本朝廿四孝】を読み合わせ。

山車を組上げる時と同じ、先輩、長老に聞きながら、体一杯使い、木組みを次々に組み上げていく。木組みを気ぐみに置き換えて「ははぁー」とふにおちればー。人の話は何より贅沢。芸に関わるお話しは一段の贅沢三昧。
最後は、山本屋味噌煮込みうどん町田店で無事幕。
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by ooca | 2016-06-24 21:35 | 未分類

日々

内田樹 (@levinassien)さんが9:03 AM on 木, 6月 23, 2016にツイートしました。
僕は別に「統治者が無謬であること」なんか求めているわけじゃない。間違いは誰にでもある。そのときにさくっと「あ、間違えました」と認めて、すぐに修正できる対応能力とおのれの欠点を検証できる知性の方が「私は間違ったことがない」と言い募る厚顔さよりはるかに評価されるべきだと僕は思います。

御意。
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by ooca | 2016-06-23 18:36 | 未分類

かぶき


江戸時代、かぶきは 猥雑な享楽性を持ち、いかに見せるかを 競い血道をあげた。それは、封建社会の 中で生きる庶民の人間解放であった かぶきは複雑な環境にあった 役者は河原乞食であり「芝居町」と「遊郭」 に限られ、その場を「悪所」と呼ばされた そこで熱狂と創造により職人的芸術は究められた
かぶきの精神は、どの時代にも生まれる 形を変えてつながっていると思う つれなく追いやられた日本文化感 「会いたさに、ひとり夜更けにきたものを~」 と口ずさむと、人肌、江戸からつながっていく (これは邦楽の一節・・) 江戸時代のセンチで正直な日本人の感覚 かぶきをつくり上げたのは、三味線音楽である 現代でいえば先のひと節はブルースにあたるが ブルースの世界観とは違う、何が違うかといえ ば生まれの違い、紡がれてきた見方の違いがある 江戸邦楽は私たちのふるさとなのである かぶきは型の伝承と言われる、それは型を 作った精神の伝承をいう、その奥には日本 の日常にある潜在的なセンス、アンテナ(触覚) の伝承がある。お米をとぐとき、鰹節を削るとき 庭の水やりのとき、月を見るとき、花を見るとき 舞踊も三味線音楽も、浄瑠璃、台詞 しこなしも、すべてがこのセンスとセットに にある。1㎜単位で幾通りかの色を知る日常 の感覚の伝承がある もう一つ向こうの山について (本当はこのことを記したかった) 芝居の中の「物言わぬ」立場を貫いた女性たちから 全体を俯瞰すると、人と社会を別の視点で見る ことができる。遊女たちのとり沙汰の裏側にある社会、 理不尽を嫌う江戸の精神、日本人のやんちゃさ

かぶきの中にある「日本」の精神が 本当の「日本」であるかもしれない。
かぶきは、日本の立派な古典劇と実感。

「むすめかぶき33年目」
ちょっと思っていることを
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by ooca | 2016-06-20 11:13 | 未分類

日々

今日も子供のお稽古。
普段10の力だとすると子供には100の力のお稽古。
基礎動作も、足の開き方、捻り方、背筋、腹筋、首、頭、肩から腕、二の腕から肘、肘から手まで。これらの動作を体感覚で身につけます。
大人も大切な体のトレーニングになります。『夏のお稽古体験』7月17日、8月30日~
8月6日迄。チラシ作成中。

昨日は、親戚の映画評論家松岡ひとみさんの、熊本支援チャリティ『うつくしいひと』上映会。
私の家系は、叔父も祖母も親戚もこういったことに無欲に一生懸命になります。
考えてみると、これが好きな事をお仕事にする種のようなものかな。
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by ooca | 2016-06-19 09:54 | 未分類

名コンビになるかな?

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今月25日(土)2時より
名古屋の栄、松坂屋、パルコ、ナディアパーク、ユニクロの立ち並ぶ中に、犬山城城主成瀬家の菩提寺『白林寺』そちらで《座禅と歌舞伎朗読劇・三人吉三》を開催します。
発案者は、お嬢吉三役の市川九女さん。相方は写真右の柴川菜月さん。2回目の挑戦となります。前回から進化してます。

身体には二種類、男女。しかし、その身体とひとつながりにある人生は一人にひとつです。

「役」と「演者」と「芸」
この最低3つを織りなすのは容易にはいかず、いつか、広く、深く人生とともに充実していくことをー念頭にしながら。
私も若い成長もここからです。
九女さんと菜月さんを見ていて、普段はそんなに思わないのですが、お稽古をしていると、なんとなく二人が似て見えます。不思議です。
体を自分のものと考えないで、ふわりと羽織りを羽織るように、三人吉三の人物になれることを目標にーこれは私の意見です。
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by ooca | 2016-06-17 11:49 | 未分類

芸談、名句

『よい人のまねをする、わるい人のまねせず』五代目團十郎
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by ooca | 2016-06-16 12:18 | 未分類

「身体は幻」

何年ぶりでしょう。渡辺保氏と食事、お喋りの末席に。
夢中で読んだ渡辺氏の本と、現実の渡辺氏に寸分のくるいがない。いっときの会話に名人の条件を満たしているとちょっと本を取り出す。
「名人の条件、わたしはたった一つだと思う。すべてから自由であること。これが名人の条件である」「うまいだけでは名人とはいえない、うまいとは技術的なものであって名人は技術を越えたところに存在しているからである」「空間を自分のものにすることが、踊り手にとっていかに大事か、そこに踊りの修練の目標があることはいうまでもないことである」
踊りと舞について
「舞いは舞いでも、本式の能舞台で戦う能役者の身体と、歌舞伎の舞台の役者の踊りの身体とでは、その位相が違う。違うところに歌舞伎の面白さがある」《身体は幻》渡辺保氏の著書。
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by ooca | 2016-06-14 07:57 | 未分類

夏のお稽古体験募集

長唄は、歌舞伎のムード
謡いは、能のムード
この流れ感を体験すると
日本のこれ迄がちょっと自分とつながっていくね。
1週間朝稽古です。
まずは、7月17日(日)1日体験講座から。
子供も大人も
もうすぐ、募集はじまります。
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by ooca | 2016-06-12 11:39 | 未分類