市川櫻香の日記


by ooca
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<   2017年 05月 ( 7 )   > この月の画像一覧

團十郎復活

この本に、むすめ歌舞伎「黒谷」の章があります。[病室でもう一つ仕事ができた。]の書き出しで始まり、成田屋の女性歌舞伎の流れから、紆余曲折を経てのくだりがあり、私が「もうそろそろ娘でもないので、自分の会をやってみたいと」「櫻香の会を始めた。」と当時のことをお書きいただいています。
團十郎先生の思いはこの本からもさまざまに受け止められます。「歌舞伎の真髄とは」の章には、あらためて納得します。
~今の日本は「まず経済ありき」の考え方が充満しているように思える。この考え方は間違っていると私は思っている。根本的に直さなければいけない。人間としての生活には「文化」が必要だ。「文化」があって、そこにはじめて経済が生まれ動き出す~
と書かれている。そして、「文化とは何ですか」については「私の解釈は、文徳、即ち知恵によって動物である人間を教え導き人間にすることを文化というと思っている。」
この本で伝えていこうとされた伝統文化のことにあらためて気づくことがあります。
そして病気とのなかで得られた身体感と、ご自身の真髄であったと思われる、[胸中の綺麗]を感じとることができます。
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by ooca | 2017-05-31 08:16

愛知

昨日は東西を行き交う、出発地から終着地そのあいだについて京都学派哲学の倉沢行洋先生と京都でゆっくりお話しをしました。揺れと振りと高揚と寂寥、余情の情趣が「街道=旅」東西の真ん中の地域、愛知は揺れながら軸を持つと考えるのは面白いーと、先生がいわれました。いつも丁寧で穏やかな先生の姿から様々な余韻をあたためて学んでいます。先生はいつも私に「心のままおやりなさい」と仰られます。

一昨日は、愛知県公館で大村知事さんに、今年度開催の「街道文化」の件でご挨拶にうかがい「街道文化」の一応の種子をお話しさせていただきました。
お忙しいなかを公館にお迎えいただき、善い空気のなかで私達の計画をお伝えできました。

愛知は住み良いと言われています。
昔から人の努力を学ぶ体質が文化を支えてきました。ここ愛知は、東西の中央つまり東西をながめ学びながら「間(あいだ)」という独特な空間と観念をきづいてきた過去があります。
この「間(あいだ)」を、二点のあいだの目に見える部分のみの見方から、そこに見えない時間の中をたづねる深さを、更にひろい上げ、虚飾をはなれ、いったん冷え寂びたところから、真の豊かさを想像したいと思います。間(あいだ)は、「間(ま)」とも言い、芸術においては、人の心を揺さぶる特別な高みでもあり「魔」とも言われています。
その「間(ま)」とあわせて、愛知のながめを想像することは、枯れ木に花を咲かせていくように艶やかな見方です。
二つの地点の間にあって、濃厚でかつ、質的な空間であったりーこれまでの時間というものを無しにしないで、そこに求めながら、しかし、ここに更なる段階として、その心を姿へという道がなくてはならないのです。このことを私は学んでいます。








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by ooca | 2017-05-26 08:09

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鵺と猩々、羽衣と杜若、仕方によるうつし身の有り様、誰でもない自分の宇宙。本日の「カフェ古今」身体は主格をいろいろにしながら、奇妙に味わえます。能、吉沢旭師と。
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by ooca | 2017-05-20 20:31 | 未分類

日々

時間という財産をどう使うとも
幸いに良い生き方を選び、そして更に
選び続け、命を尽くしていく
これが一生現役ということなのです。

楽がしたいなどもったいない
いただいた命を有り難くつかう。

「人が生きていくには、人としてのよい本性が
曲げられないまっすぐさが大切。このまっすぐさをなくして生きているとするなら、それはたまたま助かっているだけ」論語(齋藤孝訳)

まっすぐは皆、生まれ持っている
自分の真っ直ぐな習性が、大人になり様々に
うつろふ。おかれた場所がどうあれ、そこで
どう生きるか。問われている。

よく生きるとは「今はよくない」と気づけること

伝統の「道」とつく、技藝は、身体すべてで
真似て学びます。自分をなくし、一心に真似
るわけです。
それは、生まれもった真っ直ぐな習性をあぶ
り出すようにひきだしていくことに。

昔の人は良いことを言いいます。
「人はお会いしないとわからない」と。
確かに身体から見えてくるその人生き方
話の中にも、その人の考えがよく見えて
くるものです。

伝統を現代に伝えることを家業にするところで
生まれ育ち、家には様々な珍事がおこる。
喜劇のようかもしれない。芸能の場は外から見たらおかしい。稽古の現場は、研究室でありアトリエであり、銭湯でいえばボイラー室である。
懸命な時間がそこにはあり、そこに人が集まる。

このところ、知立へ行く機会が多く、ひとつの
プロジェクトを皆さんとつくらせて頂いている。

街の時間はゆったりとしている。
旧街道にある昔のままの茶碗屋さん。
ユーモラスな口調につられ、つい足を運ぶ。
さしづめ私は旅の者、茶碗屋さんの奥さんに
疲れをほぐされ、次に励まされ、お煎茶をいただき、体も心もあたためてもらう。
あの幼い頃のお稽古場の家のなつかしさを感じる。

街道文化の要素の一つはこれかもしれない。
お芝居ではない、上等な真実の安心の時間

凝り固まった頭がほぐれていきます。


















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by ooca | 2017-05-15 23:43

これからです。

日本の芸道というものは
全部具体的な生活と関係
しています。
そのことは、私共の
とても大切なことです。

一昨日は、若い人の第一回目の舞踊の会を、沢山の方々にお越し頂き終えることができました。
皆様の温かなご声援に心より感謝しながら、日々のいたらなさを反省し、こういった時にこそ、芸道の有り様に、もうひとつ向き合うことでなくてはならないことを思いました。
日本の伝統芸術はあらゆることが入ってきます。
たとえば、お茶は茶室の中だけ丁寧にあればよいのではないこと、お花も、書も、同様に日常に生かされる実用の芸術であるからこそ、そこに人生を感じとる。
私共の思うところは、つまり舞踊を通して形から心へ、その導線と気づきよる立ち居振舞い、歌舞伎の物語から美の仏法、日常が総合文化芸術であることを「道の芸術のもつ、即生活の美」へと向かうようにと思うのです。
舞台芸術が遊びの芸術と言われることのないよう、私達の人生の中の体と心の芸術化に
少しでも近づきたいと思います。
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by ooca | 2017-05-09 09:19 | 未分類
若い人が力をつけてきました。自主発表の会を催します。
地唄による舞踊
鐘が岬
【道成寺】物
上演前に少しこの曲を
書きとめてみます。

ト、鐘、鐘のそばに女人
長唄「京鹿子娘道成寺」では息のつまる気迫、乱拍子のあと唄から語り口で始まります。
【鐘にぃ怨みは数々ござる】
体と鐘、鐘が体か、執着という姿なのでしょうか。

【初夜の鐘を撞くときは】
鐘へ耳、見上げるように一段と鐘へ意識

【諸行無常と響くなり】
執着する心に縛られ

【後夜の鐘を撞くときは】
鐘の音も、明けゆく空のように、人の心がその様に、とどまることなく移り変わっていくー。しかし、女人の中に我慢我執の心がある。

【是生滅法と響くなり】
あたりに響く鐘の音、怨みに思う。

【晨朝の響きは生滅滅為】
明け方の空を見ると生き死にを越えていく思いをもつ

【入合いは、寂滅為楽と響くなり】
夕暮れの鐘は、楽境の境地という

【聞いて驚く人も無し】
その音を聞いて誰も驚かない

【我も五障の雲晴れて、真如の月を眺め明かさん】
法華経に、女人には、五つの障があり仏身にはなれないというが、今、悟りの月を眺めてー。

古典芸能に生きるプロならば道成寺は必須と言われています。
地唄「鐘が岬」
第一回目の会に向かう若い人に勧め勤めてもらいます。

若い人に

我慢我執というものは「他をあなどること、我意をはること」茶道開山の珠光伝書『心の文』に「わろき事」とされている。
しかし、倉沢行洋先生は「芸道の哲学」でなくてはならない我慢も記されている。
それは、「がまんがしゅうがわろき事」を深く自覚し、そこに徹底、徹底したうえ、高く豊かに働き得る強き「がまん」のことを書かれておられます。「なくてもならぬ」
強い起動力、工夫の「がまん」を記されておられます。

この道を歩もうとする
若い人の第一歩です。
皆様には、どうか温かなご声援を賜りますよう、私からもお願いを致します。
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by ooca | 2017-05-04 21:22 | 未分類

妙なる

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5月はのびやかな月です。
今朝は、いちごを煮てから自主稽古。
いちごを洗いグラニュー糖をまぶして放置。いちごは、甘心地を堪能している様子、こちらも、その様子を見ながらいちごになりかわる心地で。

いちごを、見ながら
あたえられた点化により「無心」の主体が、芸力を、もってやすやすと、安らかにはたらく時は、ある意味での無上の姿が自然と現じてくる。

しかし、いちごは生まれながらに妙なる創造物、ありがたくいただきます。
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by ooca | 2017-05-01 09:17 | 未分類