市川櫻香の日記


by ooca
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今晩は、10時から11時まで、FM76.1
神谷ドクターのミッドナイトラジオで
お喋り致します。
ただ今、歌舞伎黒御簾音楽や三味線の音色
を皆様に聞いてもらえればと、持参のため
準備中。

名古屋の街の時間は、都会に比べてゆっく
りとています。耳から五感まで、たのし
むことができるラジオで、街の景色を伝え
られれば、ラジオで街づくりもできますね。
以前その街に、訪れたり、住んだことのあ
る人が、思い出は、色褪せないと
驚くこともできます。
おまけに、その時の様々に心が潤います。

昨日は、嶋川武秀君が、立派に芸人さんになり
7年ぶりにたづねて
くれました。
なんと、2012年国立演芸場花形演芸大賞銀賞
2014年に漫才新人大賞を授賞!
おめでとう。
鶴舞の時間を覚えていてくれました。







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# by ooca | 2017-07-05 11:16

7月2日2時より

もう本日になりました
本日「舞踊の魅力」を開催いたします。
曲と歌詞を、身体(カラダ)で感じてもらえる
よう会場に歌詞を映す準備をしました。
三味線音楽をうたい、舞台で演じる人と
呼吸を合わせてみます。
太鼓や笛やお三味線が、自分に語りかけ
てくるように感じられます。

歌詞はよく見ると(感じると)
これがひとつ意味だけではないことが
わかってきます。それは文字通りの解釈
その奥、少し深く読み、そして
もっと深いところへつながります。

日本の古典を理解してもらえる人は
少ないといえます。現代の社会とは関係
のないものとする人が多いと思うのです。

古典を活動とする一人として、体による
表現という演技の方法には、人間の達人
の生成にむかっていく道があることは
想像できています。が、、、。





























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# by ooca | 2017-07-02 00:00

花の種

人のお稽古から学ぶことがたくさんあります。
歌詞に、見るとか辺りや景色とあれば、目を使いモノやコトをみ、聞くとか、声、鳴くに関われば、耳を寄せます。言葉を自身で言うような時は、言葉の内容に即して、立派に、優しく、かたじけなく、体を自然な形にします。歌につれて動作を工夫、道理をあてることは、教える側の勉強のしどころです。
あまねく降りつぐ雨に
ことごとく萌えこそ出づれ。
やがて咲く花の

朝のお稽古に向かいます。

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# by ooca | 2017-06-28 08:53

日々

禅画としてよく拝見するものに円相があります。
私の温かな思い出の中に、團十郎先生の御揮毫
による円相があります。
それは、むすめ歌舞伎の若いメンバー
結婚に、文字ではなく、たくさんの意味を含む
円相を賜りたく、思いきってお願いをしました。

その頃、今から18年程前、あまり深く
考えてはいなかったと思います。
ただ、あの円相が、素晴らしく
感じられたのです。

円は、はじめも終わりもありません。
このことは、いいかえればどの一点も
出発点、どの一点でも始まりなのです。

昨日の[吉住会]、美しく深き円相を
感じられ、大切になさってこられた
一点づつが舞台から現れ、大変良い
勉強になりました。

素敵でした。










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# by ooca | 2017-06-25 12:23

[身体と美術]カフェ古今

「森を見るために木を見よ」-昨日《カフェ古今》開催-馬場駿吉先生から身体表現の歴史は、たえず創造するベクトルにより創られたことを映像を見ながら-「古今」伝授のひととき、愉しく有難く、皆さんと。

約二万年前のユスケール洞窟壁画の【手】から始まり、シチリア、アッダウラ洞窟の時間の中で身体を意識する【動いた姿】。次の時代には、精神の内包を表し、美へと向かう。
人体は円と正方形に内接するという記述を表現したレオナルド・ダ・ビンチ。

1489年【解剖図譜】
医学的な部分と、美術家俳人のはじける無数の泡が、建築論から人間の豊かな情感の経過まで、馬場先生は、そこに見えない絵画を描いていくように話され、創造物=身体がいとおしく興味深く感じられる。
頭部の空洞は、外部からのショックをおさえる役割であり、直立するようになった人類が脳を支えるため進化。
進化とは日々薄い蓄積の形状の繰り返しであること、より今に通じるため敏感にして、その蓄積は形状を変化させ、時代の気配に応じていくことができるということである。

東洋と西洋の身体表現は人界の輪郭から、数ミリ数センチのベクトルでは共通していると感じる。

求心性指向を日本人、遠心は西洋性の指向と言われながら、しかし、広い海原、つきぬける空を日本舞踊で表現するには、求心よりも、遠心にしながら求心の身体にとけて無くなるような感覚がなければ到達できない。

近代西洋美術は、光りの色彩で輪郭を見せ、同時代、日本は浮世絵でみるように、墨で象り、閉じ込めながら、開いていった。

虐げられた身体へ
1937年ピカソ【ゲルニカ】抑圧の時代。
ロダンの悩める身体。

自己とは何か、耳に包帯をしパイプをくわえたゴッホの自画像は、日本の浮世絵に触発されているように思う。
ゴッホから、人間の心に満ちた修羅の老武者を想像できた。芸術の狂騒の時代に生きて、自己の葛藤、人間性を見出だす芸術の方向に立ち上がっていくように感じられる。

このように
もうひとつの「日本の旅」を皆様と出来ますことは、とても大切なことに思います。

舞台芸術は、絵画や彫刻のように後に残るものではありません。世阿弥が言うように、その場その時の観客としか存在することができない、はかなさと向き合わねばなりません。そこに、伝えていく意思と、魂に残るものへの憧れが生まれて。
薄い蓄積も、重なれば、強い芸術になり得ると、馬場先生の最後のお話しに深々ー。
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# by ooca | 2017-06-11 18:34 | 櫻香のつぶやき