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市川櫻香の日記


by ooca
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今日のお稽古

てりむくりー私は「てりむくり」が大好きです。
てるーとむくれるー。動詞ながら名詞となった言葉といえます。おどる時にも、このてりむくりーを非常に意識します。遠き山の端(は)がてりむくれ
る様子を手でかたどるように踊る。
息を吐くのも吸うのも、柔らかな、てりむくり。
あちらと此方、遠くの彼方と近くの此方も。
喜んだり、曇ったり、みな、てりむくり。
ひたすら続く水平線を見るより好きなのは
むくれる波が、ザブーンとなった瞬間
スーッと引いてゆく、引いたと思ったら
また、ザブーンとくるのも、てりむくり。

呼吸をしているように、てりむくりは
体に馴染みます。今日のおどりのお稽古も
みんなと「てりむくり」を見つけて
おどりました。理解できたか心配です。


# by ooca | 2021-10-10 23:40 | 未分類

日々

1920年代、新たな世界観を受け入れながら
どこかに山居のようなものが近くにないと落ち着かない。そこには、精神の浄化を求め、求めるだけでなく、浄化された精神において「学ぶ」的な要求を含めて時代の継承が実は湧水のようになされてきた。
この湧水が飢えている。これからは、その湧水を求めてゆく時代に向かうことになるのでしょう。

芸能芸術者の身体にそのことを辿ってみると、歌人の斎籐茂吉は、こんなことを言っています。写生を強調した人です。写生というのは「自然▪自己一元の生を写す」写生の「生」は「自然▪自己一元の生」自然と自分が一つの元から成り立っている、その元の生を写すんだ。と言っている。
その元とは何かと言えば「いのち」一つの命という言い方で、天地自然の万物に人間も含まれた
一つの命を写すのが写生だと言っている。
伝統の身体を継承する表現者も、同じことが言えます。幼い頃より、真似ることからはじまり、段階を経て、自然世界観の一部分、粒子のようなものになってゆく。この事を身体を通して実感しているーということが伝統文化継承者なのです。

これからは、これまでの分解された要素の多様が、全体性という繋がりを持つ方向に進むことでしょう。そこには、自然に生かされている、という事を基準にした軸を持ち学んでいく姿勢があります。颯爽と揺るぎなく、国際化されていく中へ向かっていくものに相応しい高まりとなっていくことができるのです。。


# by ooca | 2021-09-23 10:22 | 未分類

鶴舞公園

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鶴舞公園_f0228641_20255336.jpg

底知れぬ魅力があるというのは
取って付けたものではなく地に足がついた
ものです。小さな頃から、これはもう昔か
らこうしていた、といものがあるとすると
面倒と思うことや、ここはなくしたほうが
いいのにという考えも、これをこうした方
が簡単にお金が入るのにという考えも、ど
こか意固地になってでも継承していくこと
で、最初はわからないことも長い時間をか
けてそこが深まっていくのに気づく。

小さな頃からわからないけど継承してい
くものだとしていくと、繰り返し繰り返
しをするうちに、わかることがある。
常に今ここにあるのは、誰のお陰かと
考えるためにあることにも気づく。
昔の人は、そういうことを大事に考えて
いらした。
発展と過去の間を自分に持つと
こういう人達がいたからこれができた。
ということを考える時間軸を持てる。
そういったことを、認識できる場所が
あることは、大事だと思うのです。

地元、鶴舞公園は、ヒマラヤ杉を参道に
真っ直ぐ進むと
和洋折衷の噴水、その向こうには、青海波
の紋様と君が世の音符のついた
手摺の奏楽堂、更に真っ直ぐ奥に進むと
胡蝶池、右方に緑毛の亀と丹頂の鶴の蓬莱山
左方には、沼に蓮。更に真っ直ぐ進むと
右方八つ橋に菖蒲池、左方に小山で、平坦
な公園にあって唯一木々から、四方垣間
見ることができる。秀吉が生きていたら
必ず作らせたであろう草庵の場所。
そしてまた、真っ直ぐ進むと、雄大風雅
山水を見立てた、陸続きの浮き御堂の
龍ケ池となる。
この公園には、魂がある
1920年代日本の将来を夢見た名古屋鶴舞
和洋折衷という不思議な形を創造させた
のは、押し寄せる西洋に日本の世界観が
全くひけをとらない気概を感じる。
この先をどう引き継ぐか、これを作った
方々の思いを更に深めることを
託されてきた112年間の公園の歴史。

私たちは、これを磨かないで
どうするのでしょう。
安易に経済へ走れば、俗なものに
なるでしょう。俗と品のどちらも
まぎらわしてゆく方法もあるはずです。

# by ooca | 2021-09-13 20:25 | 未分類

日々

今は、華やかに踊る気持ちにはなれません。
皆で食事をしてもおいしくはないでしょう。
好きな音楽を聞いても、心から没頭は
できないでしょう。
こういう時は、沈黙し、粛々と舞踊をし
一人音楽を聞き、本を読む時なのでしょう。

そして
これまでがどうであったか、今が
どうで、と、考え。さて、どうすれば
いいのでしょう。
どうすれば、皆と共にいいことに
進めていけるのでしょうか。
毛糸を編むように夢中に編むように。

考えていると、もう秋を迎えています。
やがて冬になり、春がやってきます。

四季は何が合ってもめぐって来ます。

思い通りに、考え、進み、考え、
進めていけば、四季のように
思いがけない、景色に廻り合い
踊りにむかえられていきます。

踊りが好きでしかたがない気持ち
を大切にすることが、多くの先生との
つながりです。
感謝しかありません。

やっと本当の意味が
わかってきたのです。








# by ooca | 2021-09-03 00:56 | 未分類

特別講演

特別講演_f0228641_23083616.jpg

進士五十八先生には今がかつての痕跡から
掬い上げられていく可能性を思い。
これ迄では考えも及ばない方法と、かつてとを
交ざり合わせて進む仁和寺金崎さんの動きには
気づいて動くのではなく、気づくから動いて
しまう継承文化が、身体に染みていることに
ほっとするはずです。
新たな取組みは、何をするかではなく、誰が
するかであり、その意図が最も大切なことです。
伝統の風習や文化が新しい取組の要にあれば
いつの時代も新たな動きが活発になるのです。


# by ooca | 2021-08-28 23:08 | 未分類