市川櫻香の日記


by ooca
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さまざま、昨日今日

先日、お世話になっている、名古屋友禅の絵師の方が、平影清の子孫であることを知りあまりにも身近で驚きました。「えぇーあの影清さんですか?」平影清は、その名そのままの古典曲があります。その内容は、歌舞伎や文楽にある「阿古屋琴責」(あこやことぜめ)を知っていると、かなり面白い。「阿古屋琴責」場面は、影清の行方を追う、源氏方の詮議を受ける影清の恋人阿古屋。阿古屋を詮議する秩父庄司重忠は、「三味線」「胡弓」「琴」を阿古屋に弾かせ、音色に真意を問います。重忠は思慮深い男として当時から人気者だったようです。「影清」の曲の終盤に、阿古屋との痴話喧嘩の描写があります。影清が、重忠の人気にやきもちをやき、どうせ自分などは「おじゃまであろう」とふてくされます。身近に親しめます。
昨日も、「日本の伝統をつなぐ」の件で、市内の学校に伺いました。校長先生も、日本の伝統芸能のお稽古が、生徒に歴史や風習に興味をわかせて、自然の音から生まれた感性を体と心を一つにすることにつながると理解されていました。授業の方法を話し合いました。まず、生徒たちには、日本固有の伝統音楽と、今の音楽とは全く別と教えなくていけません。手拍子では教えられないものと、理解させることは、最も大切です。一つの音に集中、そして、曲の乗り、速さは、洋楽の拍子感をもたないからです。ですから、影清のような古典曲など、1音1音に演劇的想像を感じる感性を重要にします。作品そのものの理解や、味わいを丁寧に伝えることは、日本の歴史や風習、庶民の思考を想像させます。丁寧な多岐にわたる話しを必要とします。拍の譜面を使う洋楽化した演奏者の三味線では、踊る者も語る者も、骨が折れるどころか、メトロノームに追いかけられているようになり、味わいも想像ものぞめません。本来、演奏者は歌詞だけの本を使い、三味線部分は昔からの記号譜を歌詞の横につけ
ていました。
語りに語らせて間を創っていくことは、難しいことですが、それが三味線でした。うるさく言われる〔間〕は、日本の庭園の、〔ししおどし〕にも感じることができます。自身の感情と息の関係が密接であることも、授業の中で大きく強く表現しながら理解します。息は、長短にかかわらず1拍とし、集中した深さで、あらゆる表現者は一つの作品を作ります。
深い息づかいを意識し、想像、心と体を鍛える、日本の古典の伝統の教えです。多数の生徒であろうが、生き生きとした感性をぶつけ、揃えあわせていくことを歌舞伎で伝えます。
今月からの育成講座は、毎週火曜日夜です。この講座は、主にお話しが中心で進めています。ご興味おありの方、ご参加いつでもお待ち致しております。
影清のご子孫は、お父様が戦争の時代に、家系を伝える古文書を持ち、戦火を逃げられたので、私も大切なものを拝見できました。
過去から、現在のつながりを感じることで、生まれる感情は、深く透明なものに思います。
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by ooca | 2012-07-10 10:00