市川櫻香の日記


by ooca
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日々

昨晩、狂言の方と話しました。

演技者であり続けることは、観客と同じ
時点に立つことができなければならない
のです。

世阿弥は、演技者に屈指の
名言「離見の見」
という言葉を残しました。
いろいろな解釈がなされていますが
演技者にとり、この言葉は、ただひとつ
「我心をわれにも隠す安心」
自分の意識を意識する必要がなくなるほど
深く強い境地。しかし、そのように鍛練し
ても、なお届かない胸中と言えます。

世阿弥は、将軍から大衆まで幅広い観客に
愛されて生きた芸能者です。
世阿弥は、社会に対して何らかの訴えたい
ものを芸を通して、観客と通じ合っていき
ました。
観客と演者の両者の目が成り立って
いたことを作品を通して受け止められます。

また、同時に、世阿弥は「離見」の「離」
のことを「後心に安見する時」と書いて
います。これは、見終わったあとになって
からの感銘を考えていくことを書いてい
ます。
時間を離れてからも「見」ることが
できる芸について、演技者への高い見識を
説いています。
無意識に、このような舞台が、観客と演技者
によりつくり上げられること。
それは一体どんなものなのでしょう。
花の香りのようにどこから
ともなく[匂い]出る何か、見せたとも
見たとも覚えぬほどの、その場、そのものの
深い美しさに思います。

能は幕府の式楽となって、世阿弥の
時代のような危機感を失っていきます。
江戸時代の能楽は、安泰に安住し
明治維新という
大きな社会変動に至ります。
これまでの、式楽、能、そのものすべて
が変わり、遊芸やサロンとしての道に
向かいます。
私は、生まれた環境のなかで、その時代
の延長線を感じています。

明治以降の優れた芸の持ち主は、社会と
緊張感を持って、想像の力をつけて
いきました。
芸を通して生きること、その奥深いもの
を見つめて戦っていました。

私達は、物事の移り変わりを前提にして
伝えること、それがいったい何をしめすか
言葉にすることなどできなないのですが
そのバトンを渡されていると
皆さんと感じたいのです。


生きる根元的なものを見失わないために
技術や精神、後への見識を見極めて
これら日々に感じ、その「感じる」
ことを丁寧に吟味しながら
身体を媒介させて
理解をしたいと思うのです。
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by ooca | 2018-07-01 10:50 | 櫻香のつぶやき