市川櫻香の日記


by ooca
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師走

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空、雲、走るっ!
よく見ると、月も

来春のチラシがあまりに
素敵に出来ました
お見せしたい方々へ
ご挨拶とともに
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by ooca | 2017-12-28 14:39 | 櫻香のつぶやき

心への構成の道

いよいよ、現実を超えた想像の世界に向かう。
これについて、倉澤行洋先生は、芸道の哲学でこのように仰っている。「日常的次元に不可避なあらゆる虚飾が根底からなくなり、その意味で冷え寂び、寒くやせ、あわくすさまじくなった正にその所に、真に無限に豊で美しい、この上なく艶なる世界が開かれるのである」「ここに所謂、幽玄の情趣が生まれるのである」
さて、これはどういうことかと言えば、「眠れる自己には夢の世界しか見えないが、覚めたる自己には真実の世界が見えるーそれが『まこと』なのである」

自己否定の極めに新しい自己、主体の心を再生するという。それが真を得ることとなる。
型や振りを学び、身につけ、離れないまでに、稽古を重ね、舞台を重ねていく。ここですべてを棄てて、没頭する体ができる。自己否定を重ね、その極に新しい自己、新しい主体の心が誕生する。
何かが変わる時、この時をつくっていくーこういう認識を持っていくことにを楽しみにしたい。
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by ooca | 2017-12-21 09:10 | 櫻香のつぶやき

過日のこと、踊ること

芸に命がけなこととは
いかなることでしょう。

ひとつの舞台から
あらためて思いました。

舞台を振り返ると

始まる前から、すでに
あふれ出していました。

無理に想像すれば
彼方からたどり来た
何かしらと、ひとつの
体をつかい、溢れるばか
りになっていました。

心とからだが踊り続けて
いきました。

舞台に立つと
踊り足りない人が
離れないのです。

引っ張られない
そう思うのも
つかの間

現実の私に、申し訳なく
思う、、心境。
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by ooca | 2017-12-20 11:11 | 櫻香のつぶやき

冬の日

大勢の皆様にお出掛けいただき、誠に有難うございました。
詞というものは、あたりまえですが、文字でできています。今回、俳句の世界と、伝統芸能の身体感をひとつの世界に想像できるよう組み立てていくうちに、この文字の精霊に気付きました。
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それは、文字が、ひとつずつ線の交錯でできていて、その線には、意味があるわけではないのですが、何かを放とうとする線に見えました。

それが舞踊する身体におきかえると、手や脚、頭、背骨、首と想像することにつながりました。部分への意識に広がりを感じたのです。
身体のひとつずつの部分と、文字の線のひとつと同様の見方ができて面白いのです。

今回の「太田道灌」、若い柴川さんが茶の湯や、お琴を、実際には、そのお道具はないのですが、さも、茶筅を持ち、茶杓をつかう、また、お琴の調弦をし、弾くという振り付け演出をいたしました。その身体の線が、実際にはないお道具に、優しく添わせたり、弾いたり、お稽古をするうちに、その音が体の線から聞こえるような感覚となりました。
線が会話するように見え、聞こえました。
文字の線も同様に感じられます。俳句のなかにある、飄々とした広がりに、線ひとつづつが合わせているように面白いものが想像できました。

さて、私は
大切に育てて下さった先生方、まわりの皆様を思いださなくてはなりません。
舞台があと何回踏めるか
考えなさい。ーと

次回2月25日(日)
名古屋能楽堂へ
入らしていただけますよう。
どうか、宜しくお願いいたします。
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by ooca | 2017-12-17 14:06 | 櫻香のつぶやき

道成寺

道成寺の縁起にかかわる説話の最も古い文献は、
長久年間(1040-43)の大日本法華経験記である
と考えられています。
この説話の、主人公の二人には名前がなく
の熾烈な情念の物語が語られ、後日譚に法力
功徳による、怨霊解脱の物語とに、構成され
ています。

鐘と大蛇、蛇と女人、いづれも古来より多くの
説話が語り継がれてきました。
鐘を撞くことによって、あの世にいる者と再会
できる、ならば、この世の人にも会えるはず。
鐘は撞かなくても、鐘の音を聞くことで願いが
かなうはず。

そもそも、この鐘、まずは、鐘鋳の為に、神仏
の名のもと寄進を集め、女人たちのなかには
鐘鋳の材料になる、鏡や笄を願いを成就させる
為に寄進しました。
そして、鐘供養は、新たに鐘鋳した鐘を拝み
その梵鐘の音に耳を傾けて、願いの成就に浸り
また、自らの罪障を悔い、その消滅を鐘の音に
聞くことでした。

金属を溶かし、鐘をつくる様子から、呪文を唱える、呪術師を想像します。熱いどろどろとした
金属をかき混ぜること、長時間。
鐘は、様々な願いや思いを封印したものに感じ
られもします。
そうしてできた鐘の音を、どう聞くか、そこに
深い意味を感じます。

鐘供養の庭で、舞を舞うことにより、願いの
成就に近づこうという思いは、芸のなかにいる
ものには、理解のできることではないでしょうか。
敬虔な行為は、生きる魂と言ってもよいのです。

道成寺から離れましたが、踊る側から言えることは、踊ることにより、この最も古くから伝えら
れている、道成寺の女人、花子と同化し、また
彼女たち、多くのかつての行為感情に
なにがしか、つながっていくことを感じます。
2003年出雲での道成寺以来となります。
12月10日名古屋能楽堂「冬の日」
長唄『新座敷舞道成寺』を上演
道行より
強力、狂言:鹿島俊裕
お出掛けのほど。

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by ooca | 2017-12-07 00:48 | 櫻香のつぶやき