『人間ジョン・レノンあってのジョン・レノン』
どなたにも言えることです。政治家だって弁護士だって会計士だって、音楽家だって、すべての人に言えるこの人間としての自分。オノヨーコさんが、テレビで話しています。いつも力を感じます。
今日は、『どうでも男はあくしょ者』を張り切って踊る10歳の真里さんのお稽古。娘道成寺にある、この箇所を、踊る『手習子』の娘役と真里さんが完全に重なっていきます。このあたりを踊る真里さんは、それはそれは、本当に嬉しそうです。そのままどんどん楽しんで踊ってください。秋のむすめ歌舞伎公演は、こんな感じで、大好きなむすめ歌舞伎に、厳しいお稽古も、なんだか嬉しくて嬉しくてたまらない皆さんの舞台になります。
1603年春四月出雲大社の女神子と称する阿国が、京都に現れ、かぶき踊りを演じました。その以前を伝えている、本のタイトルもまさに、『歌舞伎以前』林屋辰三郎著に、とても興味深い、こんな部分があります。「1582年5月18日、奈良春日神社の若宮拝殿で八歳の加賀、十一歳の國という幼女が【ヤヤコオトリ】という法楽をし、それが一段と可憐で面白く、人々が群集したことを、【多聞院日記】がしるすのだが、これは阿国の幼時ではないかと想像せられる」と書かれています。ヤヤコオトリは、その後、1600年7月1日には、京都、宮廷貴族に「ややこ踊を見せた」と記されています。
子供逹の踊りには、何かしら、清い力を感じるのは、昔も今も変わりません。
その後の阿国の歌舞伎踊りは、「それまでの能の中ではけっして見ることの出来ないものであった」とこの本に 書かれています。女性が男装するという当時には妖奇にみち、いかに新しいものであったかと、想像します。時代は現代です。私達がいくら男性となりましても、目新しいことでもなくなりました。性差を尊重しながら、互いの垣根を飛び越えて伝えていくのは、それは、心を伝えていくことだと思います。
<童の心に翁が宿る>、そこは男でもなく女でもないはずです。
秋のむすめ歌舞伎公演、ぜひお出かけのほど、お待ち致しております。
どなたにも言えることです。政治家だって弁護士だって会計士だって、音楽家だって、すべての人に言えるこの人間としての自分。オノヨーコさんが、テレビで話しています。いつも力を感じます。
今日は、『どうでも男はあくしょ者』を張り切って踊る10歳の真里さんのお稽古。娘道成寺にある、この箇所を、踊る『手習子』の娘役と真里さんが完全に重なっていきます。このあたりを踊る真里さんは、それはそれは、本当に嬉しそうです。そのままどんどん楽しんで踊ってください。秋のむすめ歌舞伎公演は、こんな感じで、大好きなむすめ歌舞伎に、厳しいお稽古も、なんだか嬉しくて嬉しくてたまらない皆さんの舞台になります。
1603年春四月出雲大社の女神子と称する阿国が、京都に現れ、かぶき踊りを演じました。その以前を伝えている、本のタイトルもまさに、『歌舞伎以前』林屋辰三郎著に、とても興味深い、こんな部分があります。「1582年5月18日、奈良春日神社の若宮拝殿で八歳の加賀、十一歳の國という幼女が【ヤヤコオトリ】という法楽をし、それが一段と可憐で面白く、人々が群集したことを、【多聞院日記】がしるすのだが、これは阿国の幼時ではないかと想像せられる」と書かれています。ヤヤコオトリは、その後、1600年7月1日には、京都、宮廷貴族に「ややこ踊を見せた」と記されています。
子供逹の踊りには、何かしら、清い力を感じるのは、昔も今も変わりません。
その後の阿国の歌舞伎踊りは、「それまでの能の中ではけっして見ることの出来ないものであった」とこの本に 書かれています。女性が男装するという当時には妖奇にみち、いかに新しいものであったかと、想像します。時代は現代です。私達がいくら男性となりましても、目新しいことでもなくなりました。性差を尊重しながら、互いの垣根を飛び越えて伝えていくのは、それは、心を伝えていくことだと思います。
<童の心に翁が宿る>、そこは男でもなく女でもないはずです。
秋のむすめ歌舞伎公演、ぜひお出かけのほど、お待ち致しております。
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by ooca
| 2011-08-31 01:27