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市川櫻香の日記


by ooca
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歌舞伎の教科書

1956年に発行された戸部銀作先生の「歌舞伎の演技」は、むすめ歌舞伎発足時(私は20歳台でした)より、よく読んでいました。舞台での体の向き、演者と観客の、その位置感覚など、歌舞伎独自の演技形態が、わかりやすく書かれています。この本との出会いは、御園座、地下二階の、演劇図書館です。当時、今から20年ほど前、この本を購入したいと、鶴舞公園に、軒を並べる古書店を、さがしましたが、なかなかめぐり会わず、後輩たちが、お稽古場で、読めるように、何冊か購入できないかと、戸部先生宅へ、恐る恐る連絡をしました。戸惑いましたのは、電話に出られたのが、ご本人で、私の名前と、本についてを申し上げますと、「ちょっと待って」と、先生。すぐに、大変気さくに、お話し頂きました。昭和20年台に全国的にその名をはせた、市川少女歌舞伎の、お話しも聞かせて頂き、その後も、舞台のお話しを様々に、伺いました。「歌舞伎の演技」には、実演家が、身体で理解をしていく、感覚的な部分を、わかりやすく客観的に、解き明かして
いくのと、その習連の仕方なども、書かれています。歌舞伎の瑞々しさの元をつくる、身体に備える訓練を、大切に考えられ、舞踊の身体基盤を、書かれています。
表現する姿は、舞台人のみのものではなく、皆さんの日常にも、表現する姿は、必要不可欠です。基礎訓練を、日常に、取り入れてはどうでしょうか〜。優しく思いやる姿は、癒されますし、はつらつと歩く姿に、爽やかさを感じます。
私達はこのように歌舞伎に向き合いながら、結局、向かっているのは、心ばえの良い世の中に、住みたいという思いに、行き当たると思います。にごりのない、かけひきのない、あたたかく美しい人と、またそのことに答えられる人。美しいことや、心ばえのある物事を、一生懸命考え、日々反省しながら、お稽古に向かうと、最後は、心の姿に帰結していくのかもしれません。では、心さえ良ければ良いのではと…。どうも、これは、悩みや、苦しみを、飛び越えては、身につくことではなさそうですよ。
お稽古場は、大人も小さな人たちも、秋の舞台に向かって苦闘。歌舞伎の基礎、歌舞伎舞踊で皆自分を鍛えようと頑張っています。
「形から心まで、行く手は遠いのですが、辛い時は辛いことを知り、苦しい時は苦しい事を知り、その時をかみしめて、その時を、一生懸命生きて、仲良くなるつもりでね」
最後は、お稽古に苦戦の子供さんへのメッセージになりました。
今日もありがとうございました。
# by ooca | 2011-07-15 10:54

今、空、

今、空、_f0228641_1432648.jpg

ウッディアレンの映画に、主人公を溺愛するママが、亡くなった後も、1人息子演じるウッディアレンになにくれ世話を焼き、圧巻はママの顔が空一面になって、逃げる息子の背後を追いかけてきます。「あれはしたの、もぅ貴方は小さな頃から〜」と、世話を焼き続けます。空を見上げると、あのシーンを思いだします。ママと一体化している空。映画は面白くて可笑しくて、ちょっと主人公に同情したり〜でも今は、皆、自分の空があったら、悲しい時辛い時淋しい時、見上げれば、会いたいあの人に会え、声も聞こえて、毎日、相談ができてね。見上げていれば、そんな空にもなりそうですよ。
# by ooca | 2011-07-11 14:03

シネマ歌舞伎

「女殺し油地獄」7月14日迄ミッドランドスクエアシネマ、朝10時からのみです。
# by ooca | 2011-07-10 12:09

丸の内中学でした

丸の内中学でした_f0228641_22412377.jpg

大切な一瞬こそ残しておきたいのに、本当にその時ほど撮ることを忘れています。
ほとんどの時、そうかもしれません。
今日は、今年度最後の丸の内中学、3年生の伝統文化、むすめ歌舞伎の授業でした。あっと思ったら授業は終わっていました。皆さんの隈取りのお顔を写真にすることを忘れていました。
私も生徒の皆も、当たり前ですが、未来に向かって今の時間こそかけがえのないその時と、皆でなんだか大切に味わっていたように思います。
例年通り最後の授業は隈取りです。写真には残せない、汗や匂い、元気な時間もその時の感覚も「押し隈」に残しました。生徒、全員初めての隈取りは、授業後、押し隈に。押し隈は、布を顔にあてて目や鼻、口のでこぼこと一緒に歌舞伎の独特なお化粧を、布の上からまるで版画の時のように擦りつけます。
刷り上がりにはその時の汗も大切です。布を顔からとって不思議そうに自分のぬけた、自分のかたちを見る生徒達は、「わ~」、ちょっと自分の分身のような、不可思議な出会いも混ざって「わ~」だったかな~。
歌舞伎への初挑戦様々でした。
彼女や彼らに、毎授業、私なりの大切に思うことを伝え、それから一緒に大声を出しセリフを言い、一緒に歌舞伎の所作や見得、飛び六法で汗びっしょりになります。身体も心も、よそ見などせず、今を精一杯生きている感覚です。助手、宮地友子さん、阿部一恵さんも5回の授業ご苦労様でした。
皆、これからも今の繰り返し〜私も同様です。よそ見せず一生懸命にしていたら、またお会いできますね、きっと。今年も皆さんと出会えたことを感謝でした。
写真は、鏡獅子ののち、初めて採った私の押し隈です。写真より一歩も二歩も、あの時が近く感じられるのです。
いつもありがとうございます。

考えられないことがおこっていますが、すべて人がおこしたことです。人の関心に関心を持って見て見ることはかなり大切な日常に思えます。

(お稽古場の鈴虫が鳴かないと思ったら、いつのまにか一匹いないのです~)
# by ooca | 2011-07-07 22:41

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今日は、名古屋能楽堂の定例公演に朝のお稽古後急いで向かいました。歌舞伎「鳴神」にある一角仙人のお話しです。

梅田邦久先生は苔を食べ生きてきたような山の仙人。あらわれた美しいセンダラニに心奪われます。センダラニの舞についつられていく仙人の様子は心に残ります。センダラニの足拍子もつられて舞う、間合いや、仙人が思わず美女センダラニにふれてみたくなり手をすーっと伸ばしながら運ぶ身体の様子が、梅田先生の熟成されたすべてにありました。その瞬間の感情があらわれていく貴重な瞬時を拝見できました。後から心に残るとはかけがえのないことです。有難うございました。

先月より引き続きむすめ歌舞伎公演のお稽古に、藤間蘭黄先生にいらして頂いていました。数々の歌舞伎舞踊の伝承復活をされた、藤間藤子先生のお孫さんにあたり、ドラマ「仁」などの所作指導もされている蘭黄先生です。むすめ歌舞伎結成後、歌舞伎舞踊の振り付けの藤子先生のところにお稽古にあがりました。
舞踊は六歳から始めていましたが、むすめ歌舞伎の団体の1人として上がらせて頂き、沢山を学ばせて頂きました。初めて伺った浅草橋のお稽古場で、藤子先生は私に、自身の若い頃お稽古場までが大変遠く朝、電車もまだ始発が出ない時間に歩きながらお稽古場に通ったお話しをして下さり、名古屋から通う私を励ましてくださったことは、よく思い出します。
藤子先生から、蘭景先生と、ほとんど様々、舞踊以外も含めて、教えを頂きました。
良き導き手に出会うことは、今その時が唯一、今の一歩のありようにかかっていることをお稽古で教えていだだきました。蘭黄先生には三代のつながりをそのまま感じます。藤子先生から蘭景先生、蘭黄先生と、むすめ歌舞伎の伝統の歌舞伎の基礎を作ってくださるかけがえのない方々です。老師という言い方が日本にはあります。ただ年月を重ねていくのがいいのではなく、どう生きたか。繰り返し繰り返し、長い年月をかけ精進を教え続けて頂いていることを心から感謝を思います。忘れていないのは、雨の日も風の日も雪の日もお稽古に通ったことを話された藤子先生。過去の様々が今に至り、あきらめず続けることを、蘭景先生にも、蘭黄先生にもその姿勢から頂きます。未来を開く行き方には、いつも出発点にあることです。
皆さんのお陰を心より感謝して明日も頑張ります。

有難うございました。
# by ooca | 2011-07-03 20:42