市川櫻香の日記


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道‥‥…

道は、道を行う人の内から出てくる道でなければならない、それに従ってゆく道ではなく、行うことによって生じてくる道、つまり、行う人が道をつくるということにならなければならぬのであります。(茶道の哲学/久松真一)
形のあるないに関わらず、文化財には、この考えがあてはまるように私は思います。

それは「完全を越えるもの」「簡素」「枯高」「無心な自然」「底の知れない深さ」「静寂」「脱俗」
なぜ今、この事を思うのかといえば、もうすぐ「文化財と古典」の「見方」を上演するからです。
今まさに、はざま、きわ。1年以上前から準備にかかり、今までの考えをまとめながら、様々な人に出会い、ここまでのすべてがここに向かいつ、はじまります。無心、枯高、静寂を身体いっぱいに感じられたらすっきりと際立つ、面白い境地をむかえるのだが…


2月25日(日)
「文化財と古典」の「見方」
名古屋能楽堂:会議室
12時開場
呈茶、知立文楽人形展示
特別プログラム
お話「東海道の旅」山本祐子

名古屋能楽堂:能舞台
1部/13時30分開演
知立山車文楽の旅
2部/14時45分開演
「芸と人」藤田六郎兵衛他

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# by ooca | 2018-02-08 23:53 | 櫻香のつぶやき

日々

身体による「そそう」の考えを歌舞伎のなかから探ります。歌舞伎はもともと、逆らう行為から始まりました。自発的な行動と「そそう」は表裏一体と考えられます。そのことは、岡倉天心の箏の話を読むととてもよくわかります。私達、人は、本来独創的な生き物です。これを生かさなければ、いつか絶滅してしまうようにおもいます。歌舞伎から学ぶことは、見方や、掘り下げ方しだいで沢山あります。
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# by ooca | 2018-02-06 12:27
「人形は何かの分身らしい」知立の町や、神社を背景に山車文楽の人形を澤尾康博氏が撮影しているときに私が感じたことです。安倍晴明の式神の話や、芸能民が操った傀儡、人のかわりになって悪いことも良いこともするらしい。清明らが人形を秘法により童子の形に変えて召しつかった話しは、私の人形遊びの奇異な時間をよみがえらせました。異界と遊んだ記憶は、不思議によく覚えていてとても充実していました。
そんなお話しを朝日カルチャーで致します。
写真家澤尾康博氏の撮った知立の町での人形たちの写真もご紹介いたします。ふだんは山車の上で見る人形たちが別の顔をのぞかせています。
不思議な感覚です、人形たちが私達を「闇」の世界へ誘うように感じられます。
「見方」は、「心と体の地殻」奥底に眠るエネルギーを覚ますことを伝えてそれは日本文化の基層と考えることもできます。知立には、この基層を感じとることができます。土地に残っているモノ、コト、人の奥からにじみでるものから、私には懐かしい芸能の民の地層を感じます。
2月25日の名古屋能楽堂「文化財と古典」の「見方」は、知立の山車文楽人形の魔界感に少しは触れることができると考えています。歴史の暗闇を見つめることが文化の役割のひとつです。それを人形や古典芸能からえることも出来ます。
その場、その空気に遭遇することにより、ふだんの見方と違った見方を知り、それをまとう方法も、何かが浸透していくように身についていくことになります。その場やその空気がいかに大切か、芸道者が昔からそのことを重要に扱ってきました。

私達の今日、もはや魔界は、どこにもないかのように見えますが。

事前レクチャー講座をいたします。
2/11日曜日10:30~
名古屋市中区栄3-4-5スカイル10階
052-249-5553朝日カルチャー



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# by ooca | 2018-02-04 00:18

日々

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今日は、尾崎久弥と名古屋市博物館の山本裕子さん、東海道、継ぎ目の会話。交換の引き継ぎは柴川が挑む。「芸どころ名古屋」精進中。弾けて進む。
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# by ooca | 2018-02-03 01:30 | 櫻香のつぶやき

古典の見方「隅田川」

「胸に迫り、久々に泣きました」とご感想をいただきました。2007年渡し守に市川新蔵氏、2014年にはお能の高安勝久氏。2007.・2014年の「隅田川」を思いだしながら書いてみます。 

ある日、名古屋能楽堂の舞台に立つ能役者の体の向こうを見ていました。人買い船に、子供が乗せられていく、それを見て、私はそこに見えぬ人たちの姿を感じていました。それは、重苦しく恐ろしい風景でした。私はその時「隅田川」の狂女を演じていました。お能の役者は渡し守を演じていました。私は彼に対して、お能にも歌舞伎の本にもない言葉を心の奥で発していました「我が子がさらわれていくのを貴方は見ていたのではないか、なぜ子供の手をとり人買いから子供を助けてくれなかったのか」  東海道を、我が子を拐(かどわ)かされた母が、狂女となってあずまの国までくだる。「思わざりき 思い子を 人商人(ひとあきうど)に誘われて 行方はいずこ 逢坂の 関の東の国遠き 東(あづま)とかやに 下りぬと」お能における狂女物は、さまざまな女物狂いが登場しますが、母の物狂いはその典型のひとつです。多くの母は子と再会し日常に戻ってゆくのにひきかえ、隅田川の哀れは、子供の死という絶望の現実にさらされていくことです。この哀れは、人の善意によりわが子が救いだされる願いも虚しかった母の悲しみだけではなく、善を行うことすら選ぶことが出来なかった人々の悲しみでもあります。なぜ古典が語り継がれ、演じ続けられていているのでしょうか。人買いは、子供を何らかの形で騙し、それにより利益を得ていました。人買いの様子を「隅田川」の渡し守は、拐(かどわ)かされた子の母に語って聞かせます。土地の者達も、人買いが小さな弱り果てた、虫の息の子を、その場に捨て去る、その有り様を見ているのです。人買いの横行する時代、心ならずも目を背けていなければならない社会。悪に対して誰も挑まない、こんな現実を本当は誰も望んではいません。亡くなった子供の塚に、朝が明けるまで念仏を唱える人々の心は、どんな気持ちであったのでしょう。狂女は、変わり果てたわが子の現実に向かう。土地の者たちは、念仏を行うことで、助けることの出来なかった子どもへ自身の罪を償っている。歌舞伎舞踊の私が、お能の方と隅田川を上演することは、珍しい試みと言えます。体というものは、心の駆け引きなどには応じません。考え、想像し、学ぶだけでは、魚を掬うタモのようなものです。体は正直なもので、長年かけて身についた型が、思念を払いのけ、物事の真意を、浮き上がらせていくのです。 狂女は、我が子の死に向かい、夜念仏に唱和しつつ、声の中より、我が子を幻に見る。幻の我が子を抱きしめようとすると、母の腕をかいくぐり、すり抜けていく。念仏をあげる渡し守の体の向こうに、多くの村人たちが、我が子の塚に念仏を唱えている。心の中で私は思う。この人たちは、人買いにさらわれ犠牲となった子を、幾人供養してきたのであろうか。私は、悲しみの中で、人と社会への怒りのような、当たりどころのない苦しみにさらされていきます。 絶望的な中にいて、しかし時は過ぎ、夜が明けていく。どこからか聞こえてくる、船頭が棹をさして水面に船を押し出す時の水の音が、はかない親子に寄り添ってくれるように美しい情景を見せる「すいと塒(ねぐら)を 立つ白鷺の 残す雫か梅雨か涙か」ただ美しい、そこに人は救われる。幻はこの母子の語らいであり、我が子を追いつつ「空ほのぼのと明けにける」狂女は、我が子を確かに抱いたに違い
ない。その街道を繰返し繰り返し行くのであろう。物的手がかりを求めてではなく、見えつ、隠れつする中で、我が子と語らい抱きながら。 お能役者の体は、確かに中世とつながっていました。お芝居の最初(お能の「隅田川」)、狂女が舞台に現れ、渡し守が言いいます。「面白う、狂うて見せ候へ、狂はずば、この船に乗せまじいぞ」狂女は、様々に舞い、最後に悲しみが一段と増し、声を張り上げ、狂い笹で地面を打ってうったえる。「さりとては、船こぞりて せばくとも、乗せさせ給え渡し守、さりとては 乗せて賜び給へ」 狂女の美しさは、常の狂気によるものか、又は徹底した純粋さが狂気の体を見せるのか。そして、社会の闇の中に立ち止まり問いかけている。「隅田川」は、悲しみにこらえた美しさを見せているのではない。社会に問い、人々に問うている。その姿に人々は美しさと強さを感じているのだ。生きている私の体を通して、かつてこの世に生きた人たちの思いが、内から外へ現れ、この世に生きた自身の思いとの決別を私たちに託しているように感じられます。悔やむという心、悲しみの中に死んでいったものへの思いに、苦しみ囚われ、あの世においてもなお悔み苦しむ。その苦しみから救われることを願う人たちの思いが現れていくのです。 隅田川は、岩場に一輪咲いた百合のような古典作品です。永久に価値のあるものとは、このようなものであろうとつくづく思います

2018年2月25日(日)名古屋能楽堂
「文化財と古典」の「見方」
隅田川を上演致します。
演奏は、清元美治郎先生
清元清美太夫の一挺一枚という普段ではあり得ない美治郎先生の芸の真髄にふれる演奏となります。

昨年の冬の日にも能の一調と謡、また、今回の藤田六郎兵衛氏による一管も、一人の演奏家のすべてがためされる場となります。
狂女の私は静かに舞台へー2月という月は
雪が溶けて雫となる季節です。しーんと春を
待つ心で、「隅田川」をじっくりご覧いただ
きたく存じます。
どうぞ、お出掛けください。
よろしくお願いいたします。

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# by ooca | 2018-02-01 16:20 | 櫻香のつぶやき